満州民族
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満州民族の起源

満州民族の前身は、12世紀に中国の北半分を支配したを立てた女真民族であり、女真以前にこの地方にいた粛慎?婁勿吉靺鞨の後裔であると考えられている。

民族名となったマンジュは、サンスクリット語のマンジュシュリー(文殊師利、文殊菩薩のこと)に由来する満州語で、元来は16世紀までに女直(女真)と呼ばれていた民族のうち、建州女直に分類される5部族(スクスフ、フネヘ、ワンギヤ、ドンゴ、ジェチェン)の総称であった。文殊菩薩を信仰していた部族が部族名を自称するに当たり、信仰する文殊菩薩の「文殊」という文字を使うのは恐れ多いとして「満洲」という当て字を使用し、後に「満州」になった。

これら諸部族がスクスフ部出身のヌルハチによって統一されると、ヌルハチの支配する国はマンジュ国(Manju gurun, 満州国)と呼ばれるようになり、さらにマンジュ国が海西女直4部、野人女直4部を併合して後金に発展したため、満州の名が広く女直全体の総称として用いられるようになった。ヌルハチは、満州語を表記するためにモンゴル文字を改良させて満州文字をつくり、満州民族文化を確立することに努めた。

ヌルハチの死後、後継者のホンタイジは女直を民族名として用いることを禁じ、「満州」(マンジュ)の民族名が定着した。「州」という文字がついていることで、現在では満州というと中国東北部やマンチュリアなどの地域の名前のイメージが強いが、本来はあくまで民族名であり、土地の名前ではない。


清朝時代の満州民族

ホンタイジは後金を満州・モンゴルの3民族を、満州人である愛新覚羅氏皇帝が支配する帝国に発展させ、国号をと改めた。多民族国家である清のもとで、満州人は八旗と呼ばれる8グループに分けられた集団に編成されて、清を支える軍人・官僚を輩出する支配民族となる。

清は、1644年が滅びると万里の長城以南に進出して明の旧領を征服し、八旗を北京に集団移住させて中国全土を満州民族が支配する体制を築き上げた。清の歴代の皇帝は、漢民族が圧倒的多数を占める中国を支配するにあたっても、満州語をはじめとする満州独自の民族文化の維持・発展に努めたが、次第に満州語は廃れ、満州人の間でも中国語が話されるようになり、習俗も中国化していった。

逆に、中国を扱った映画などの作品で見られる辮髪両把頭チャイナドレスは元来は満州族の習俗であったものが清の時代に中国に持ち込まれたものである。清朝の統治者は明との戦争中、漢人の民族としての連帯感を弱めるため、また中国統一のため、1644年、明朝滅亡後に満州族の髪型と満州族の服装を強制し、漢民族の服飾を身に付けることを禁止した。史上名高い剃髪易服(髪を剃り、服を替える)である。

一方、満州民族の故地である中国東北地区(満州)は、皇帝の故郷として保護され、漢民族の移住は強く制限されていたが、清末には漢民族の農民が入植するようになり、漢民族人口が急増して満州民族をはじめとするツングース系諸民族は人口の上でも生活範囲の上でもまったく追いやられてしまった。

1932年には日本の手によって、清の最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を執政(のちに皇帝)として満州国が立てられるが、満州国は日・朝・満・蒙・漢の5民族による五族協和を理念としており、満州国の内部において自国が満州民族の国家として意識されていたわけではない。しかしながら満州民族においては建国後に帝政期成運動を起こすなど、満州国に民族の復権を期待する向きも一部ではみられた。


現代の満州民族

第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族とされる。

満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満州語を話す者はほとんどおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満州民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満州語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満州民族の民族意識はとても強いともいわれている。


自治県

自治州はないが、自治県がいくつかある。

遼寧省

岫岩満族自治県

寛甸満族自治県

本溪満族自治県

桓仁満族自治県

清原満族自治県

新賓満族自治県


吉林省

伊通満族自治県


河北省

青竜満族自治県

寛城満族自治県(承徳市

豊寧満族自治県(同上)

囲場満族モンゴル族自治県(同上)


満州民族の特徴

満州民族の姓氏は、本来、愛新覚羅等に見るように満州語に基づいたものだったが、現代満族の多くは、中国式の姓氏を用いている。これは、清末期の滅満興漢の風潮、第二次世界大戦後の漢奸狩り、文化大革命等による中国当局の弾圧を避けるための方便であったと考えられる。しかしながら、愛新覚羅は金または趙に、完顔は王に、富察は富、傅または付に、李佳は李に、何叶勒は何または賀に、顧爾佳は顧に、関爾佳は関のように、改姓の際にも一定の原則に従っている。現代満族は、「氏族―哈喇漢訳表」と照らし合わせることによって自分の本来の姓氏を知ることができるようになっている。

満州民族は、清朝時代に支配者階級であったため、1990年代初期まで漢民族や他民族に比べて教育水準が高かった。1990年の人口調査資料によれば、満族人口1万人当たりの大学進学者数は1,652.2人で、全国平均水準139.0人、漢族平均水準143.1に比べて遥かに高かった。また、15歳以上で文盲・半文盲が占める比率は、満族は1.41%で、全国22.21%、漢族21.53%よりも遥かに低く、中国各民族中で最低であった。2007年10月現在のデータは不明。

因みに、満州民族には血液型B型の人が多く、総人口の4割を占めている。(逆に日本人(主に大和民族)には血液型A型の人が多く、総人口の4割を占めている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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