2001年から2003年にかけて、「大里はひとつ」を合い言葉に、大里地域(深谷市・熊谷市・大里郡)の合併について話し合っていたが、任意合併研究会の段階で破綻した。破綻した理由については「新市の市役所の場所について、深谷市(位置が新市の中心となる熊谷市の籠原駅付近に新たに建設)と熊谷市(熊谷市役所を活用)で意見が分かれたため」と報道された。
2003年4月1日大里地区で深谷市と熊谷市それぞれが中心となって、2つの法定の合併協議会が成立した。深谷市側は「深谷市・岡部町・川本町・花園町・寄居町合併協議会」を設立したものの、2004年3月24日に寄居町が離脱を表明したため、5月20日に合併協議会が解散した。
解散後、再び深谷市・川本町・岡部町の間で合併協議を再開した。花園町については町長と町議会で意見が分かれていたため、協議には加わらなかった。町長は寄居町との合併、町議会は深谷市・川本町・岡部町との合併を望んでいたのである。
花園町では、町長が寄居町との法定協議会設置案を議会に提出したものの否決されたため、一旦辞職した。しかし再選後に、同案を再提出したが再び否決された。このため、2004年11月14日に花園町が住民投票を行ったところ、僅差で深谷市などとの合併が、寄居町との合併を上回った。この結果を受け、迷走していた花園町は、深谷市との合併に向けて方向を定め、12月1日「深谷市・岡部町・川本町・花園町合併協議会」を設置、入れ替わりに「深谷市・岡部町・川本町合併協議会」を休止した。その後深谷市・岡部町・川本町・花園町の合併が成立し、現在の深谷市に至る。
2006年の市町村合併に伴い、以下のように住所表記が変更された。
深谷地区は変更なし(「大字」という字句の削除のみ)
岡部地区、花園地区、川本地区は「深谷市」のあとに旧大字名が付く(ただし、川本町の明戸については、川本明戸に変更された。)
例1:大里郡岡部町大字岡→深谷市岡
例2:大里郡花園町大字黒田→深谷市黒田
例3:大里郡川本町大字明戸→深谷市川本明戸
合併推進構想
埼玉県が策定している『埼玉県市町村合併推進構想(仮称)』では、構想対象市町村の組み合せとして、大里地域では「深谷市・熊谷市・行田市・江南町(当時)・寄居町」という大里地域に行田市を加えた組み合わせが提言された。
深谷市と全国の年齢別人口分布図(比較)深谷市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は深谷市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
旧深谷市
安部彦平(1955年?1963年)
木村一郎(1963年?1975年)
小泉仲治(1975年?1991年)
福嶋健助(1991年?1999年)
新井家光(1999年?2006年)
深谷市
新井家光(2006年?、初代)
警察・消防
深谷警察署
2006年の合併以前の旧深谷市内ならびに旧岡部町内の区域を管轄している。旧川本町内ならびに旧花園町内の区域は、寄居警察署が管轄している。
深谷市消防本部
深谷消防署
花園消防署
市消防本部は、深谷市ならびに寄居町全域を管轄している。
生産量日本一である深谷ねぎなどを中心とした農業や、チューリップを始めとする花卉栽培が盛んである。また、昔から、地元で採れる土から作ったレンガや、瓦などの製造が盛んであったが、昭和30年代に、市の東部に工業団地が造成され、工業都市ともなっている。近年では、渋沢栄一の好物とされる具だくさんの幅広煮込みうどん煮ぼうとうが新たな名産品として注目されている。また、彩の国の名産の一つ「深谷牛」も注目を集めている。平成18年キリンビール全国47都道府県名産品にも含まれている。中でも、信州屋の味噌漬けは、高価なもので贈り物にもなっている。
商業では、江戸時代から宿場町として栄えた旧中山道沿いに、商店街がある。しかし、昭和50年代に造成された上柴ニュータウンに、大型ショッピングセンターなどが建設されるなどして、最近では中心市街地が衰退している。この中心市街地活性化に向け、商店街の中の空き店舗を活用する運動が始まっている。具体的には、NPOの団体が「チネフェリーチェ」という映画館を設立して、毎日、有名作品やミニシアター系映画を放映していたり、同市の深谷商業高校の生徒が、学校での授業を基に生徒一人ひとりが商品の仕入れから販売・経理までをこなす店舗を経営していた。なお、店には地元産の野菜や、隣市の熊谷農業高校の生徒が飼育をした鶏の卵などが低価格で並んでいる。(2006年に閉店)
深谷市にある大手企業
東芝松下ディスプレイテクノロジー深谷工場
東芝深谷工場
日東電工関東事業所
サンウエーブ深谷製作所