深谷市は、埼玉県北部の、利根川と荒川に挟まれた地域に位置している。市の北部には、利根川や小山川によって妻沼低地(沖積低地、海抜約30-40 m)が形成され、中部から南部にかけては荒川によって形成された櫛引台地(荒川の左岸、海抜約50-100 m)や江南台地(荒川の右岸、海抜約50-80 m)が広がる。櫛引台地の北部には第三紀層の残丘である仙元山(標高98.0 m)が、また市の南西端、寄居町との境には鐘撞堂山(標高330.2 m)がそびえる。
気候はやや内陸的で、寒暖の差が大きい。夏は太平洋高気圧による季節風などの影響で暑く、冬は乾燥した北風(からっ風)が吹く。
主な河川:利根川、荒川、小山川
隣接自治体
埼玉県
熊谷市(大麻生地区・別府地区・三尻地区・妻沼地区・江南地区)
本庄市(藤田地区・北泉地区)
比企郡:嵐山町
児玉郡:美里町
大里郡:寄居町
群馬県
伊勢崎市(境地区)
太田市(沢野地区・尾島地区・世良田地区)
尾島の南前小屋地区は利根川の南側にあるため、当市に編入合併する動きがある。
歴史
古代から近世にかけての深谷市域は武蔵国榛沢郡、幡羅郡、男衾郡に属していた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、深谷宿、田谷村、東大沼村、萱場村、西島村、西大沼村、曲田村、原郷村の一部、国済寺村の一部が合併し榛沢郡深谷町が成立する。
1896年(明治29年)4月1日 - 榛沢郡が大里郡、幡羅郡、男衾郡と統合し大里郡となる。
1955年(昭和30年)1月1日 - 大里郡深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併し、市制を施行、深谷市となる。(埼玉県下18番目)
1973年(昭和48年)4月1日 - 大里郡豊里村を編入する。
2006年(平成18年)1月1日 - 深谷市、岡部町、川本町、花園町が合併し、新たに深谷市となる。
2001年から2003年にかけて、「大里はひとつ」を合い言葉に、大里地域(深谷市・熊谷市・大里郡)の合併について話し合っていたが、任意合併研究会の段階で破綻した。破綻した理由については「新市の市役所の場所について、深谷市(位置が新市の中心となる熊谷市の籠原駅付近に新たに建設)と熊谷市(熊谷市役所を活用)で意見が分かれたため」と報道された。
2003年4月1日大里地区で深谷市と熊谷市それぞれが中心となって、2つの法定の合併協議会が成立した。深谷市側は「深谷市・岡部町・川本町・花園町・寄居町合併協議会」を設立したものの、2004年3月24日に寄居町が離脱を表明したため、5月20日に合併協議会が解散した。
解散後、再び深谷市・川本町・岡部町の間で合併協議を再開した。花園町については町長と町議会で意見が分かれていたため、協議には加わらなかった。町長は寄居町との合併、町議会は深谷市・川本町・岡部町との合併を望んでいたのである。
花園町では、町長が寄居町との法定協議会設置案を議会に提出したものの否決されたため、一旦辞職した。しかし再選後に、同案を再提出したが再び否決された。このため、2004年11月14日に花園町が住民投票を行ったところ、僅差で深谷市などとの合併が、寄居町との合併を上回った。この結果を受け、迷走していた花園町は、深谷市との合併に向けて方向を定め、12月1日「深谷市・岡部町・川本町・花園町合併協議会」を設置、入れ替わりに「深谷市・岡部町・川本町合併協議会」を休止した。その後深谷市・岡部町・川本町・花園町の合併が成立し、現在の深谷市に至る。
2010年度に群馬県太田市前小屋町の利根川南岸の南前小屋地区が当市に編入合併される(越境合併)。
2006年の市町村合併に伴い、以下のように住所表記が変更された。
深谷地区は変更なし(「大字」という字句の削除のみ)
岡部地区、花園地区、川本地区は「深谷市」のあとに旧大字名が付く(ただし、川本町の明戸については、川本明戸に変更された。)
例1:大里郡岡部町大字岡→深谷市岡
例2:大里郡花園町大字黒田→深谷市黒田
例3:大里郡川本町大字明戸→深谷市川本明戸
合併推進構想
埼玉県が策定している『埼玉県市町村合併推進構想(仮称)』では、構想対象市町村の組み合せとして、大里地域では「深谷市・熊谷市・行田市・江南町(当時)・寄居町」という大里地域に行田市を加えた組み合わせが提言された。
深谷市と全国の年齢別人口分布図(比較)深谷市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は深谷市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
1980年120,931人
1985年129,851人
1990年135,927人
1995年143,116人
2000年146,562人
2005年146,461人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)