淮河および秦嶺山脈を結ぶ線(秦嶺・淮河線)を境に、中国の南北では地理や気象条件などが異なり、伝統的に華北と華南の境界線とみなされている。秦嶺・淮河線は年間降水量1000mmの線とほぼ一致し、たとえば北は小麦中心の畑作農業地帯で、南はコメ中心の水田地帯となっている。また淮河の北は陸路中心の交通、南は河川交通中心で「南船北馬」ともいわれている。こうした農業生産物や交通の違いは政策の差や軍事行動に影響するため、中国が南北に分裂していた時代は淮河が境界線になったことが多かった。
淮河は河南省の桐柏山・老鴉叉に源流を発する。河南省、安徽省、江蘇省の3つの省を通り、途中江蘇省で洪沢湖という中国第4位の巨大な淡水湖を形成し、一部はここで分かれて黄海に注ぎ、残りは三江営で長江に流入している。源流から河口までの落差はわずか200mにすぎない。河南省と安徽省の境の洪河口までが上流で、長さは360km・落差178m・流域面積は30,600平方kmに達する。洪河口から洪沢湖の出口・中渡までが中流で、長さは490km・落差は16m・流域面積は158,000平方kmになる。中渡から三江営の長江流入地点までは150kmで、落差6mとなる。また渦河・沙河・洪河など、華北平野の黄河より南を流れる川は、天井川である黄河に合流することができないため、南へ流れて淮河の支流になっている。これらの川には、むかし黄河本流だった河道を流れる川もある。
淮河の流路は激しく変化してきた。かつて淮河は今日の江蘇省北部を通って黄海に注いでいた。しかし1194年、それまで渤海へ北流していた黄河が南に向きを変え淮河河道へ合流するようになり、淮河は黄河の流れの強さに押しだされた。黄河が堆積した土砂は高く積もったため、淮河は流れをふさがれ、水は逆流してあふれ出し洪沢湖を形成し、多くの土地や町が水没した。洪沢湖に溜まった水は南へ迷走し、いくつかの湖を作ったあと長江へと合流するようになった。
1850年代に黄河は再び北に流れを変えたが、淮河は黄河旧河道の堆積土砂による自然堤防のために元の流れに戻ることができず南に流れるままになり、安徽省・江蘇省境界付近でしばしば氾濫を繰り返した。1950年代以降、中華人民共和国によって淮河水系の上流でダム建設や植林、下流で排水路整備が進められた。特に江蘇省北部に設けられた水路・蘇北灌漑総渠は、淮河旧河道に沿うかたちで淮河の水を黄海へ流している。
外部リンク
⇒汚染にあえぐ淮河を救え(人民画報)
カテゴリ: 中国の河川 | 東アジアの地形 | 江蘇省
更新日時:2008年7月31日(木)22:39
取得日時:2008/10/13 19:57