給水開始当時の水道は現在の一般家庭各戸に給水されるスタイルではなく、街路に設置された共用水栓を利用するものであったが、上水井戸の時代とはうって変わって雨天時の混濁がなく、多大な労力を要する事も無く蛇口をひねればいつでも清潔でおいしい浄水を大量に得る事が出来た。これは水に苦労した東京市民を非常に喜ばせた。特に有史以来炊事・洗濯・掃除といった家事に追われる主婦にとっては天佑とも言える家事の革命で大変歓迎され、家事の負担を著しく軽減した。
また鉄管で密閉・圧送された浄水は清潔なだけではなく、消防用水としての大きな効果を期待出来るものであった。これは江戸時代以来市民を苦しめ続けてきた大火を未然に防止する有効な手段と能力を得る事になった。本格的な給水開始以降の東京に於ける伝染病や火災の発生数は激減し、近代水道の絶大な威力をまざまざと見せつけた画期的な一大事業であったと言えよう。
その後、東京市では水道需要が急激に伸びた為、1911年(明治44年)3月まで淀橋浄水場の施設能力を二期にわたって増強した。
淀橋浄水場は東京市外の豊多摩郡淀橋町に造られたが、飽くまで東京市水道のために淀橋町は浄水場の水は使わせてもらえなかった。淀橋町内の井戸水の水質は悪く、町では東京市に陳情し水道水の供給を受けられるよう働きかけた。当初は小学校にだけ供給が認められたが、1924年(大正13年)に淀橋町の負担で、東京市水道に工事を委託し水道配水管を引く工事が行なわれ、分水を受けた淀橋町の水道による給水が開始された。1927年(昭和2年)には給水区域を淀橋町全域に拡大したが、1931年(昭和6年)に東京市水道に統合され、翌年、淀橋町も東京市に編入し、周辺3村と合わせて東京市淀橋区となった。
淀橋浄水場は玉川上水から水をひいた浄水場であった。玉川上水は多摩川から水を引いていたため、多摩川水系である。現在は、東村山浄水場に機能を移して閉鎖されたが、東村山浄水場へは鉄管で送水されている。
外部リンク
⇒国土地理院による淀橋浄水場付近の航空写真(1948年・米軍撮影)禁転載です。
⇒新宿新都心と淀橋浄水場
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更新日時:2008年3月29日(土)11:52
取得日時:2008/08/21 02:20