中央大学専門部入学と共に中央大学辞達学会(弁論部)に所属。中央大学専門部法科卒業後、同郷出身の代議士河野金昇の書生を務めていた。その後、早稲田大学第二法学部に入学。雄弁会に所属。当時の弁論大会で優勝した折、総長から「海部の前に海部なし、海部のあとに海部なし」と講評される。議員秘書の傍ら早大雄弁会で弁論術の研鑚及び人脈作りにいそしむ。同年代の雄弁会員には渡部恒三がいる。この時代に培った弁論術・人脈が政界入り後に大きな力となり、小派閥から内閣総理大臣まで登りつめた原動力となった。
1960年に行われた第29回衆議院議員総選挙に、河野金昇の死後、後継として出馬し一期務めた河野孝子未亡人の後継として出馬。応援演説に来た井出一太郎が放った「サイフは落としてもカイフは落とすな」というキャッチフレーズで人気が沸騰し、当選した。この時29歳であった事から、「29回総選挙に29歳で初当選したから、29年後には総理大臣になる」と公言していた。自民党内では傍流である三木派に属していた事から、この言葉は半ば冗談のように受け取られ、また本人も講演会等の挨拶におけるリップサービスにしていた。ところが、初当選から29年後の1989年、諸々の条件が重なり、海部は内閣総理大臣に就任した。
1990年、アメリカ・ヒューストンで開催されたサミットにおける首脳記念撮影の際、海部が身振りを交えて英語で軽い冗談を飛ばしたところ大受けとなり、ブッシュ米大統領・サッチャー英首相・マルルーニー加首相が大爆笑している場面の写真が全世界に配信された。
1990年は秋篠宮結婚の儀、今上天皇即位の礼・大嘗祭等重要な皇室行事が続いたが、海部はすべて問題なくこなした。とりわけ即位儀礼は日本国憲法下初の挙行であったため儀式にも慎重に手が入れられたが、それぞれの儀礼は滞りなく進んだ。今上天皇は儀式にあたりその細かい部分について海部に直接相談したり、二人だけで話し込んだりすることもあった。今上天皇は海部と年齢が近いこともあり話しやすく感じていたようであり、個人的な信頼関係が生まれていたと言われる。
記録的な長寿で話題となった双子姉妹、成田きんと蟹江ぎんは生前、「尊敬する政治家」として海部の名を挙げていた。
三枝の愛ラブ!爆笑クリニックに首相退任後、夫婦で出演した。
家族・親族
アニメプロデューサーの海部正樹は長男。天文学者の海部宣男は従弟。名古屋コーチンの生みの親として知られる、旧尾張藩士 海部壮平、海部正秀の兄弟は遠い親戚(壮平、正秀の姉の曾孫)。
関連項目
第1次海部内閣
第2次海部内閣、第2次海部内閣改造内閣
ネオ・ニューリーダー
石原健太郎
神田真秋
小此木彦三郎
教育美術振興会
中道新党構想
PKO国会
高志会
外部リンク
⇒海部俊樹オフィシャルホームページ(公式サイト)
⇒自民党愛知県連
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歴代内閣総理大臣
第75代
宇野宗佑第76・77代
1989年 - 1991年第78代
宮澤喜一
伊藤博文
K田清隆
山縣有朋
松方正義
大隈重信
桂太郎
西園寺公望
山本權兵衞
寺内正毅
原敬