汪兆銘
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死去

1944年に入ると、狙撃の際に受けた傷が激しく痛み始め、まもなく下半身不随の重体となった。1944年3月3日には渡日して名古屋大学病院に入院。多発性骨髄腫と診断された。汪は身体の激しい苦痛と戦いながら闘病生活を続けたが、結局1944年11月10日、そのまま名古屋にて客死することとなった。

小牧飛行場から遺体を飛行機に乗せて送り出す際には、近衛文麿、重光葵等が見送りに訪れた。南京郊外の梅花山に葬られる事となったが、墓を暴かれることを恐れ、棺はコンクリートで覆いがされた。

終戦後の1946年1月15日、国民党第七四軍は、墓のコンクリートの外壁を爆破、汪の棺桶を取り出した。遺体はまもなく火葬場で灰にされ、遺骨も野原に捨てられたという。「漢奸」の墓を残すわけにはいかない、との考えからと見られる(劉傑『漢奸裁判』)。


関連項目

汪兆銘政権

Portal:大東亜共栄圏

先代:
孫科中華民国行政院長
1932年 - 1935年次代:
蒋介石
カテゴリ: 中華民国の人物 | 中国の政治家 | 太平洋戦争の人物 | 広東省出身の人物 | 1883年生 | 1944年没

更新日時:2008年9月1日(月)00:45
取得日時:2008/09/02 08:01


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki