主な出来事
抗日戦争 ? 国共内戦 ? 中ソ対立
大躍進政策
文化大革命 ? 林彪事件
改革開放
四五天安門事件
六四天安門事件
人物
毛沢東 ? 周恩来 ? 朱徳
劉少奇 ? 華国鋒 ? ?小平
林彪? 江青? 胡耀邦
趙紫陽 ? 江沢民 ? 李鵬
朱鎔基 ? 胡錦濤 ? 温家宝
理念
マルクス・レーニン主義
毛沢東思想 ? ?小平理論
4つの基本原則 3つの代表
地域
中国 ? 華北 ? 東北
華東 ? 華中 ? 華南
西南 ? 西北
中華人民共和国の行政区分
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中華民国の山東省諸城県で生まれ、済南市で育つ。演劇学校に進んだのち青島大学の図書館で副司書として働く。1931年に最初の結婚をするも2ヶ月で離婚した。
この頃青島大学での学生運動の指導者で共産主義者であった兪啓威(黄敬)と知り合い同棲するようになる。その影響で1933年に中国共産党に入党した。しかし同年、その愈啓威が中国国民党政府に反政府活動のかどで逮捕され死刑宣告を受ける(後に釈放)。
江青は一時済南に戻り、のち上海へ移り映画女優として「藍蘋」の芸名で売り出すようになる。なお、この頃上海にあったイギリスやフランスの外国租界内の社交界で江青は有名人となり、「ブルー・アップル」と呼ばれ持て囃された。
1934年に映画評論家の唐納と結婚したが、唐納は精神的に不安定でありたびたび自殺未遂をおこし、日中戦争最中の1937年には離婚した。離婚後「江青」を名乗り、かつて同棲していた愈啓威と共に上海を脱出し、1937年に中国共産党の本拠地延安に到着。上海から延安まで歩いて移動したという。延安の魯迅芸術学院で演劇を教えた。
毛沢東と知り合ったのもこの頃で、1939年に正式に結婚した。このとき江青25歳で毛沢東は45歳だった。若い頃の江青は都会的でスリムな美人で、男ばかりの延安で羨望の的だったらしい。1940年には1人目の娘、李訥が生まれた。江青は毛沢東と結婚したが、当然ながら夫人の立場で政治に関わることは許されなかった。
この結婚は毛沢東との不倫の末になされたものだが、このことは朱徳や周恩来といった他の幹部達の非難を招くことになる。結局、毛沢東は3番目の夫人、賀子珍と離婚して江青と再婚することになったのだが、その代わり江青を政治の表舞台に立たせないことを約束させられたという。
ところが約束は守られず、毛沢東を国家主席として中華人民共和国が建国された後の1960年代前半から、政治活動に参加するようになる。これは、その時点で、すでに他の女性との関係をいくつも持っていた毛沢東とは事実上離婚状態となっており、その無聊を慰めるために他の党幹部も江青の政治活動を容認した結果であった。
やがて1966年に始まる文化大革命で「四人組」の1人として活躍し、世界中に悪名を轟かせることになる。1966年8月に中央文革小組第1副組長(陳伯達組長)に就任。革命的現代バレエを主張、京劇などの伝統芸能を排斥し、京劇界は多くの名優と演目を失うことになる。この背景として、女優だった頃に自分を評価してくれなかった演劇界に対して個人的怨嗟があったといわれる。
1969年の9全大会、1973年の10全大会で中央政治局委員に選出。康生、謝富治らを使って多くの人物を冤罪に落しめ、張春橋、王洪文、姚文元との四人組を政治局で結成。林彪の失脚後の10全大会以降は文化大革命の主導権を握る。
表むきは夫毛沢東の忠実な部下を装い、「わたしは主席のためにパトロールする歩哨にすぎません」とよく口にしていた。嫉妬深く自分より優れた所のある女性には容赦なく攻撃し、劉少奇夫人の王光美を失脚させたり、周恩来の養女で女優の孫維世を死に至らしめた。