毎日放送
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テレビネットワークの移り変わり

1959年(昭和34年)3月1日 - 準教育局として開局。ラジオ東京(KRT、現在のTBSテレビ)のフルネット局として開局を目指していたが、KRT側に拒否され、その後フジテレビ(CX)とのネットワーク関係樹立を目指すも断念。結果、日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日 (EX) )主体でのネットを余儀なくされる。しかし、この時点ではCX・KRTの一部番組をネットしていた。また制作番組の一部は、CXにもネットされた。

1960年(昭和35年)2月1日 - 朝日放送(ABC)が四社連盟(1ヵ月後には五社連盟)に加入したためKRTの番組を手放す。ただし、『毎日新聞ニュース』のネット受けという形でKRTとの関係は残る(※毎日放送は開局以来東京放送の番組をネットし続けていた事になる)。同年4月1日よりキー局NETテレビのニュース番組をネット受けして共同製作する事になるが、その番組は朝日テレビニュース社製作による『NETニュース 朝日新聞製作』であった。しかし、毎日放送はタイトルを差し替えて『MBSニュース』として放送していた。「朝日」放送があるにも拘わらず「朝日」新聞製作のニュースが、近畿地区では「毎日」新聞系の局に流れ、また近畿地区のニュースは「毎日」放送が取材した物が「朝日」新聞ニュースとして全国に放送された。これがいわゆる「腸捻転ネット」である。また、CXの番組が関西テレビ(KTV)に移行したため、キー局をNET(現在のテレビ朝日 (EX) )に統一。

1967年(昭和42年)6月 - 民間放送教育協会に加盟。

1969年(昭和44年)10月1日 - 東京12チャンネル(現在のテレビ東京(TX))ともネットを結ぶ。NETテレビのみだった全国ネット番組を、一部東京12チャンネルへ切り替えて関西唯一のキー局宣言をする。このためNETテレビとの関係が悪化し始める。ただ、毎日放送は、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)と東京12チャンネル(現在のテレビ東京)とのクロスネット局時代も日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が優位で、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)とは、非報道関係の番組の一部ネットにとどまった。

1970年(昭和45年)4月1日 - この日から全国ニュースにANNのタイトルを冠し、『ANNニュース』として差し替えなしで放送する。『ANNニュース』は3ヶ月前に開始していたが、毎日放送はANNのAを「オールニッポンのA」ではなく「アサヒのA」と誤解し、発足後も差し替えを継続していた。また、この日から4年間「協力・朝日新聞」とクレジットされている事に難色を示したため正式加盟をしなかった。

1974年(昭和49年)4月1日 - ANNに正式加盟。

1974年(昭和49年)11月18日 - TBSから、「1975年(昭和50年)3月31日から朝日放送(ABC)に代わりネットを開始する。」との通告を受ける。

1975年(昭和50年)3月31日 - 東阪ネット再編。ANNを脱退し(※ABCに引継ぐ)、東京12チャンネルとのネット関係を絶つ(※KBS京都サンテレビジョンを経てテレビ大阪。但し、テレビ大阪開局までは番組販売扱いでの放送を継続)。JNN・五社連盟に加盟し、NET系列局から開局以来からの念願であったTBS系列局となる。これにより腸捻転解消。

1992年(平成4年) - 民間放送教育協会を脱退。KBS京都サンテレビテレビ和歌山ラジオ関西和歌山放送を経て、ABCが引き継ぐ。


設立

第二次世界大戦終結から間もない1947年GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法電波法電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの一つ、新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西政・財界の支援の下、毎日新聞社京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。民間放送の将来性と必要性を説き、コネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の横槍(机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作)を頑として撥ね付け、朝日側との激しい公聴会(現在でもその録音が残っている)のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。


民放初の試験電波発射

1951年7月8日、22時00分〜22時30分、日本の民間放送として初めて試験電波を発射。監理局の指示によりアナウンス「NJB」と「JOOR」、レコード音楽のみ。7月12日、26日にも実施。

1951年8月15日、サービス放送開始。12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送。


テレビ放送開始毎日新聞大阪本社旧社屋(毎日大阪会館)跡地 ここにかつて毎日放送の社屋もあった。現在は駐車場となっている

1956年12月1日に朝日放送と合弁で大阪テレビ放送株式会社(おおさかテレビほうそう 略称 OTV、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。大阪ではその後、もう一つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は1958年6月1日に毎日放送と改称した上で、1959年3月1日、独自にテレビ局を準教育テレビ局として開局した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki