アメリカ合衆国の元死刑囚ゲイリー・ギルモアのように、宅間と同じく『死刑囚の死ぬ権利』を求めた事例も少なくないため、死刑囚に残された最後の「権利」であるとの主張もある。ただし、このような死刑囚は改悛の情や贖罪の情といった自己の犯罪に対する反省の感情は見られないのはいうまでもない。また刑法学者(植松正など)のなかには、大量殺人を含めいかなる罪を犯しかさねようと犯人の生命を法が絶対的に保障するのは妥当ではない。よって、そのような凶悪犯の死刑は生命を保証するわけにはいかないため、致し方ないという主張[48]もある。
国際世論1990年代以降、国際社会では死刑制度の廃止に踏み切る国家が増大している。特に死刑の廃止を主張する欧州連合の影響国の強いヨーロッパでは、死刑存置国も死刑の執行停止をせざるを得なくなっており、唯一死刑の執行を続けていたベラルーシが「人権抑圧国[49]」として糾弾されている。また国際連合も死刑廃止条約を推進するなど、人権外交の一環として死刑制度に対する国際的圧力は増大している。そのため死刑廃止論者が死刑制度のモラトリアムないし廃止も検討すべきと主張している。それに対し死刑存置派は国内状況が死刑制度の廃止ができない状態であれば、維持すべきものであるとしている。また個々の国の刑事政策は国際社会の状況に左右されるべきではないとしている。日本、アメリカ合衆国、中華人民共和国やイスラム教国などでは維持され続けている。国連総会の死刑モラトリアム決議に対し、日本の神余隆博大使は「国民の大半が死刑を支持しており制度廃止に踏み出すことは困難[50]」と述べ、また「決議に賛成すると憲法違反になる」と表明[51]しており、「日本の内政問題であるから世界の大勢に従うべきでない」としており、日本は近年では先進国で唯一、執行数が増大している国家となっている。
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死刑制度の詳細については、死刑を参照のこと。
死刑は、受刑者の生命を奪うことで、その社会的存在を永久にこの世から抹殺する刑罰であり、人類の刑罰史上最も古くからある刑罰であるといわれ有史以前に人類社会が形成された頃からあったとされる[52]。また生命刑とも云われ、かつては刑罰の主役であった。みせしめの手段として死刑を残酷に演出するために、釜茹刑、火刑、生き埋め、溺死刑、石打ちなど、その執行方法は多種に及んだ。また、犯罪行為に対するものにかぎらず社会規範を破った事に対する制裁[53]として死刑が行われていた時代もあった[54]。
完全な形で残る世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典は「目には目を、歯には歯を(タリオの法)」があるため、応報刑が採用されていたようであるが、実際には加害者の身分が被害者より下であれば厳罰に処せられており、応報刑が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。また場合によっては罰金の納付も認められていた。そのため、基本的に「何が犯罪行為であるかを明らかにして、その行為に対して刑罰を加える」といった現代の罪刑法定主義が採用されていたものであり、復讐を認める野蛮な規定の典型ではなく「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」ものであった。しかしながら、ユダヤ人とキリスト教徒はこれらを宗教的教義に反する政治思想・司法制度として批判し続けたため、近代に至るまで罪刑法定主義的な処罰が行われることは無かった。そのため、近世になるまで現在から見ると釣り合いが取れないほど軽い罪や反道徳的な行為が死刑になる犯罪行為とされていた。このような不文律による処罰を罪刑壇断主義という。
政治的権力者ないし宗教指導者への反逆は、悲惨な死に至るという威嚇を狙った目的もあり、歴史的(異論もあるが)にはローマ帝国およびユダヤ教に対する反逆者とされ死刑が執行されたイエス・キリストの磔刑、魔女狩りなど宗教異端者に対する過酷な処刑、イングランドのウィリアム・ウォレス(映画ブレイブハートのモデル)に対する四つ裂きの刑などが有名である。これらの処刑はいずれも公開で行われており、死刑執行を公開することで犯罪を予防しようとする目的[55]から、生きながら焼き殺したり蒸し殺したりする、受刑者の身体を公共の場で切り刻んだり引きちぎったりする、などといった極めて凄惨な公開処刑が行われた。なお公開処刑は、21世紀に入った現在も一部の国家で実施されている。
近代欧米社会における死刑制度フランス・恐怖政治の指導者マクシミリアン・ロベスピエールの公開処刑を描いた絵画(1794年)
フランスで1789年に勃発したフランス革命が契機として、死刑の執行方法は単一化されるようになり[56]、文明の進歩とともに死刑の意義が減少したため、適用範囲が次第に制限されるようになった。フランス革命では恐怖政治によって大量の政治犯が処刑されたことから、死刑制度が廃止するかに思われたが、最終的にナポレオン・ボナパルトによって退けられた。また革命後のフランスでは死刑の執行方法はギロチンが唯一となり、そのほかの見せしめ的な異常な処刑方法は行われなくなった。
このように欧米の政治革命の結果として死刑が適用される範囲が次第に制限されるようになった。たとえば建国間もないアメリカ合衆国ではジェファーソンが死刑執行の範囲を制限すべきと主張していた。州レベルではペンシルベニア州が1794年に死刑を適用できるのは第一級殺人罪のみと限定した。1846年にミシガン州が殺人犯に対する死刑を禁止し、事実上死刑制度を廃止した。