都内の市区町村の中では1位、東京23区を1つの市として扱うと全国で3位となる。
人口密度の順位
蕨市 - 13,737人/km?
23区 - 13,703
武蔵野市 - 12,916
データは2006年5月1日時点のもの。推計人口に基づく。
人口密度の項にも順位が掲載されている。数値は異なるが(年次不明)、順位は同じである。
前史
1868年 - 吉祥寺、西窪、関前、境の4カ村が武蔵県に編入される。
1869年 - 4カ村が品川県の管下に置かれる。
1871年 - 吉祥寺村と西窪村は東京府に、関前村と境村は入間県に編入。
1872年 - 4カ村が神奈川県に編入される。
1889年 - 4カ村と井口新田飛地が一体となり武蔵野村が成立する。甲武鉄道開業。神奈川県北多摩郡武蔵野村。
1893年 - 東京府の管下に入る。東京府北多摩郡武蔵野村。
1928年 - 町制施行。東京府北多摩郡武蔵野町。
1947年11月3日 - 市制施行。東京都武蔵野市。
武蔵野市小史
1947年 - 11月3日、武蔵野市市制施行。人口約6万3000人。荒井源吉武蔵野町長が初代市長に就任。初の市議会開会。
航空写真に見る武蔵野市。上方に見えるのが武蔵野競技場と東京グリーンパーク球場(1956年撮影)
1948年 - 2月、学校給食開始。4月、ごみの収集開始。6月、市報創刊号発行。
1949年 - 市営運動場を開設。
1950年 - 10月、し尿のくみ取り開始。
1951年 - 東京グリーンパーク球場が完成。
1952年 - 水道・下水道事業着工。武蔵野市教育委員会発足。
1953年 - 6月、市営プール開設。
1954年 - 都市計画道路中央通り完成。第一浄水場完成、給水開始。
1955年 - 特殊学級開設(一小、二小、大野田小)。 ふじみ病棟(伝染病棟:武蔵野赤十字病院内)完成。 三鷹市との合併案審議の市議会が開催され、市議会は可決したが、三鷹市議会が否決して合併は実現しなかった ⇒[1]。
1956年 - 吉祥寺ポンプ場完成(下水)。東京グリーンパーク球場が解体。
1957年 - 4月、人口10万人を突破。
1958年 - 1月、緑町公団住宅完成。9月、台風22号(狩野川台風)による水害(浸水730戸)。
1959年 - 第二浄水場完成、給水開始。桜堤公団住宅が完成。
1960年 - 成蹊通り完成。
1961年 - 武蔵境駅南口開設。国民年金制度施行。
1962年 - 都市計画道路中町新道完成。全市域の町名整理施行。「むさしの市民の歌」制定。
1963年 - 5月、後藤喜八郎市長就任。 6月、学童保育開始。7月、市立図書館開館(鉄筋化)。
1964年 - 1月、武蔵野公会堂完成。 10月、東京オリンピックの聖火が武蔵野市に1泊。
1965年 - スポーツ少年団結成。
1966年 - 6月、市営幼児プールが完成。7月、福祉会館完成。
1967年 - 全国初の児童扶養手当制度開始。学校給食共同調理場(現・桜堤共同調理場)事業開始。富士高原学園が完成。
1968年 - 市営西久保住宅が完成。武蔵野市開発公社が設立。10月、武蔵野市民会館開館。
世界連邦平和像(北村西望作)
1969年 - 4月、荻窪-三鷹駅間高架完成。 11月、三鷹駅北口に世界連邦平和像(北村西望作)建立。 12月、吉祥寺駅北口に吉祥寺ステーションセンター「LONLON」オープン。
1970年 - 「公害排除都市」宣言。
1971年 - 吉祥寺大通りが開通。 9月、武蔵野市基本構想・長期計画(昭和46〜55年度)を策定。 10月、宅地開発等に関する指導要綱制定(マンション規制)。 11月、吉祥寺FFビルB棟(伊勢丹吉祥寺店)オープン(翌年A棟がオープン)。
1972年 - 富山県利賀村と姉妹都市盟約(現南砺市と友好都市)。市営関前住宅完成。 7〜8月、第1回むさしのジャンボリー実施(静岡県立朝霧野外活動センターキャンプ場)。
1973年 - 1月、米軍施設グリーンパークが日本に返還される。 4月、「武蔵野市民緑の憲章」制定。 5月、障害児学級(べこのこ学級、いぶき学級)開設。
1974年 - 武蔵野市土地開発公社が設立。
1975年 - 2月、グリーンパーク跡地を公園にする都市計画決定。
1976年 - 7月、市立コミュニティセンター条例が施行される。境南コミセンが開館。
1977年 - 8月、けやき橋通り立体交差完成。 11月、吉祥寺大通り全線開通。
1978年 - 4月、近鉄裏通りに防犯テレビカメラが設置される。
1979年 - 3月、全市立小中学校校舎の鉄筋化完成。 4月、武蔵境駅南口駅前広場が完成。 5月、藤元政信市長就任。
1980年 - 武蔵野市役所新庁舎が完成。