組織変遷
1933年(昭和8年)
警視庁に特別警備隊が創設される。桜田門事件、血盟団事件、五・一五事件など、不穏な社会情勢に対処するために創設され、通称「昭和の新撰組」と呼ばれていた。この部隊が機動隊の前身となる。
1936年(昭和11年)2月26日
二・二六事件が発生するが、野中四郎大尉の指揮する陸軍反乱部隊の襲撃により、特別警備隊は武装解除されたため、出動することはできなかった。
1944年(昭和19年)4月
全国の警察に警備隊が設けられる。戦時中であったため、空襲等の非常事態時における治安確保・救援等の緊急活動を主要な任務としていた。
1946年(昭和21年)1月16日
GHQから軍及び準軍事組織の解体命令が出され、これを受け警備隊が廃止される。
1946年(昭和21年)1月24日
警視庁に防護隊(200名規模)が設けられる。デモ隊から警察施設を防護するために創設された。
1948年(昭和23年)5月25日
防護隊の規模が拡大され、警視庁警備交通部に警視庁予備隊が創設される。なお、1950年には「国家警察予備隊」(後に改編され陸上自衛隊)が創設された。
1951年(昭和26年)9月16日
警視庁予備隊を廃止して第一方面〜第七方面予備隊に再編する。その上で、警邏部の所管とする。警備交通部が交通部及び警邏部に分割されたため。
1952年(昭和27年)4月
警視庁の各方面予備隊を警備第一部に移管する。
1952年(昭和27年)7月
国家地方警察本部が機動隊設置を指示する。
1952年(昭和27年)10月
警視庁の各方面予備隊を廃止して、警視庁予備隊に再編成する。
1952年(昭和27年)
警視庁予備隊に特科部隊 (私服、装甲、放水、特務各中隊)を増設する。
1954年(昭和29年)7月27日
警察庁が「機動隊設置運用基準要綱」を制定。全国の都道府県警察で機動隊の設置が始まる。
1957年(昭和32年)4月1日
警視庁予備隊が警視庁機動隊に改称される。
1962年(昭和37年)10月13日
警察庁が「機動隊設置運用基準要綱」を改正。同年、全ての都道府県警察が機動隊を設置する。
1963年(昭和38年)11月14日
警備実施要則(昭和38年国家公安委員会規則第3号)が制定される。
1970年(昭和45年)4月22日
国家公安委員会が「管区機動隊の編成等に関する規則」を制定し、管区機動隊が発足する。
主な対応事件
1950年代
60年安保闘争
1960年代
70年安保闘争
東大安田講堂事件(1969年(昭和44年)1月16日-1月19日) : 加藤一郎東京大学総長代行の要請により、8千名以上の機動隊員が、東京大学安田講堂を占拠し、明渡しを拒んでいた全学共闘会議学生らを排除して、学生ら633人を検挙した。
1970年代
東峰十字路事件(1971年(昭和46年)9月16日) : 新東京国際空港(現: 成田国際空港)建設予定地で行政代執行が行われた際に、千葉県へ応援派遣されていた神奈川県警察特別機動隊員3名が殉職した。
あさま山荘事件(1972年(昭和47年)2月19日) : 人質を取って立て篭もった連合赤軍の検挙に際して、2名の殉職者を出した。
1980年代
10.20成田現地闘争(1985年(昭和60年)10月20日): 千葉県成田市の三里塚交差点で、極左グループと警視庁機動隊が衝突。241人を公務執行妨害等で現行犯逮捕した。成田空港反対運動終期の、大規模な反対派と警察部隊の衝突であった。
1990年代
大阪西成暴動(1990年(平成2年)10月2-7日) : 日頃の警察の態度と、抗議時の警察の対応に憤慨した労働者達が大阪府警察機動隊と衝突。多数の検挙者を出した。
オウム真理教強制捜索の警備(1995年(平成7年)3月22日) : 山梨県上九一色村の、教団本部施設への強制捜索では、防毒マスクが用意された。
2000年代
サッカー・ワールドカップ警備(2002年(平成14年)) : フーリガンの暴動の予防。
大阪西成暴動(2008年 6月13-18日) : 大阪府西成警察署において取調べを受けた労働者が、警察官に暴力を受けたと主張した。これが発端となり、労働者達と大阪府警察機動隊が衝突。放水車も出動し18人を逮捕したが、警察官も18人が負傷した。
集団警備力によって有事即応体制を保持する常設の基幹部隊。各都道府県警察に置かれる。隊員は専任。警視庁警備部では、第1機動隊から第9機動隊及び特科車両隊の計10隊が置かれている。