上記のいきさつにより任期を通して内閣支持率は低かった。任期の終わりごろには、遂に支持率が5.7%となり、マスコミなどではこうした低い支持率などを揶揄して森政権の事を「蜃気楼内閣」(森喜朗の音読み、シンキロウにかけた洒落)と呼ぶ事もあった。また、民主党の鳩山由紀夫には「(支持率が)消費税(5%)並みになった。」と揶揄された。政権末期には一部新聞が一面トップで「退陣の公算」と報じたことが退陣の流れを導いたとも言われる(新聞辞令)。2001年4月26日、就任からちょうど1年で首相を退任した。後継総理総裁は自派閥出身の小泉純一郎になった。
首相在任中の活動
2000年10月30日、同年8月にシドニーオリンピック女子マラソンで優勝した高橋尚子に、日本女子選手初の金メダルを獲得し国民に深い感動と勇気を与えた功として国民栄誉賞を与えた。
アフリカ諸国や南アジア諸国に対し積極的な外交交渉を行い、国際連合内での発言力向上に貢献した。
IT革命を謳いインターネット博覧会(インパク)の開催などの振興策を推進した。
2001年4月、李登輝の訪日ビザ発給要請に対し、“一つの中国”論との齟齬を懸念した河野洋平外相が「発給を認めるなら辞任する」と激しく抵抗し、福田康夫官房長官も強く反対した。しかし“李は当時既に私人であり心臓病の治療という目的があったのでビザ発給を断る理由はない”という判断で訪日実現となった。
クリントン政権時の2000年10月、オルブライト国務長官(当時)訪朝前に、米政府が北朝鮮のテロ支援国指定解除を真剣に検討、解除に極めて近い状況だった際に、拉致問題等を理由に指定解除の阻止を図っていたことが分かっている。
教育改革を掲げたが奉仕活動を義務化させる方針を盛り込む等物議を醸した。森の諮問機関である教育改革国民会議の議長であった三浦朱門の言動も度々物議を醸した。森自身が私学と太いパイプを持つ文教族の大ボス的存在であり義務教育廃止論者でもあることから様様な議論を呼んだ。
マスコミにより多くの発言が問題(失言)として報道され、首相時代には失言(「こりゃ失言失言」)が流行語となるほどであった。
1988年4月3日、自由民主党全国組織委員長時代、京都市でのパーティーで「大阪人は金儲けばかりに走り、公共心も選挙への関心もなくした。言葉は悪いが、たんつぼだ」と発言。
1995年5月10日、自民党幹事長時代、「村山首相は『過渡的内閣には限界がある』と洩らしている」と発言し、総理大臣公邸での内閣総理大臣村山富市との会話を漏洩した。この発言に飛びついた読売新聞社が「首相、退陣意向洩らす」と報道し、他社もこれに続く大騒ぎとなる。これにより、自社さ連立政権全体から森は猛反発を受ける。それにともない、閣内では村山の慰留に努める雰囲気が醸成され、村山内閣はその後も継続した。
2000年1月13日、福井県敦賀市で行われた講演において「選挙運動で行くと農家の皆さんが家の中に入っちゃうんです。なんかエイズが来たように思われて…」と発言。2001年の国連エイズ総会への派遣を批判される原因となる。
2000年5月2日、イタリアを訪れた際に当時ローマで活躍していたサッカーの中田英寿らを招いて会食。「日本代表は、アウェーで韓国に勝ったことがないんだよ」と発言したが、すぐに中田から「え? ありますよ!」と強く訂正される。中田は森と2人での写真撮影を拒否したという。
2000年5月14日、NHK「日曜討論」において、当時存命中であり文教族の先輩として自らも指導を受けた坂田道太元衆議院議長について「亡くなられた坂田さん」と発言し、物故者扱いにして物議をかもした。
2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会でスピーチし、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」と発言(神の国発言)。NHKなどが大々的に報道して大きな波紋を呼んだ。
2000年6月3日、自民党奈良県連合の緊急集会で「共産党と組むんですか、民主党さん、と私は言いたいです。共産党は綱領は変えないとおっしゃっている。天皇制も認めないでしょうし、自衛隊は解散だ。日米安全保障も容認しないという立場でしょうし。そういう政党とどうやって、日本の安全を、日本の国体を守ることができるのだろうか」と発言。20日には、衆議院選挙の選挙演説で「無党派層は寝ていてくれればいい」と発言。「世論調査では自民優勢だが、調査では政治に関心のある人しか回答していない。まだ(投票態度を)決めていない人が40%ぐらいいる。最後の2日間にどういう投票行動をするか。そのまま、その人たちが関心がないと言って寝ていてくれればいいが、そうもいかないでしょうね。」ということを意図した発言とのことである。
2000年7月、「九州・沖縄サミット」の開催は内閣総理大臣小渕恵三の悲願だったが、小渕政権を継承した森がホスト国の首相として主催した。ところが、出席前、および、その席上、「九州・沖縄サミット」のことを「沖縄万博」と連呼していた。
九州・沖縄サミットにおける、クリントン前米国大統領との会談で森は前大統領のクリントンに "How are you?" と挨拶しようとして "Who are you?" と言ってしまった。ジョークだと思ったクリントンは、 "Oh, I'm Man of Hillary. (I'm Hillary's husband.)" と答えたが、森はすかさず "Me too!" と言った(“ハウ”と“フー”を混同し、しかも声をかけて応答があったら「ミートゥー」と言えばいい、と覚えていた)。クリントンも森のこの発言には驚いたそうだ。また、このサミットのイメージソングを作った小室哲哉とその歌を唄う安室奈美恵が、森を訪問(TVで放映)。その時、森は小室哲哉に対して「多少、音楽的才能があるね」と発言。
上記の内容の記事が一部メディア[1]で紹介されまことしやかに伝わったが、実際には単なるジョークであったとされており、外務省も否定していた[2]。岡本行夫によると、この「ジョーク」のオリジナルは「台湾の著名な有識者」が作者で、失言の主は「アジア某国の元大統領」であったということである[2]。