和歌森太郎の『柳田国男と歴史学』(1975年)によれば、國男の問題意識と関心は常に歴史学と歴史教育にあったことが記されている。本書では、國男が長野県東筑摩郡教育会で「青年と学問」と題して講演した際に「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されている。そして「日本はこういうフォークロアに相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」としている。たとえば、ヨーロッパでは千年以上のキリスト教文明と民族大移動、そしてまた近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡がのこっているというのである。
言い換えれば日本にはフォークロアを歴史資料としてゆたかに活用できる土壌があるということであり、柳田民俗学とはこのような民間伝承の歴史研究上の有効性を所与の条件として構築されたものということができるのである。
代表作
『遠野物語』
東北地方の伝承を記録した、柳田民俗学の出発点(話者:佐々木喜善)。
『蝸牛考』
各地のカタツムリの名称を比較検討することにより、日本語が近畿から地方へ伝播していったことを明らかにした考察。これは文化が中心から周辺へと伝播する過程で、周辺にかえって古い文化が残っていることを示した文化周圏論である。國男自身は晩年になって『蝸牛考』について「あれはどうも駄目なようです」と述懐し、文化周圏論に懐疑的になっていたといわれる。
『桃太郎の誕生』
昔話の解析を通して、日本社会の断面図を描こうとしたものだが、この手法は民俗・民族学、文化人類学に応用され多くの後継者を生み出した(例:中野美代子の『孫悟空の誕生』)。
『海上の道』
日本文化が沖縄諸島から南島づたいに伝播してきたという考察。沖縄には稲作文化がなかったことから発表当初は否定されたが、近年の考古学的・言語学的調査などにより南方からの影響もそれなりにはあったとされる。ただ、日本列島の文化を後に構成した要素の多くはやはりユーラシア大陸からもたらされたと近年では考えられている。また國男の「海上の道」論の背景には植民地問題もあったと指摘する研究もある(村井紀『南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義』)。
『「イタカ」及び「サンカ」』
イタコと山窩の考察。
日本民俗学の祖としての功績は非常に高く評価できる反面、彼自身の性格・手法によって切り捨てられた民俗があることも指摘されている(例えば性に関する民俗は言及を避けた)。國男が意図的に無視した漂泊民、非稲作民、被差別民、同性愛を含む性愛、超国家的民俗などの解明は同時期に宮本常一によって多くの先駆的研究が為された他、網野善彦によって歴史学の分野でも注目を集めた。
参考文献
牧田茂『柳田国男』(中公新書304、1974年) 同編著『評伝柳田国男』 日本書籍 1979年
和歌森太郎『柳田国男と歴史学』日本放送出版協会<NHKブックス> 1975年
吉田和明『柳田国男』(フォー・ビギナーズ・シリーズ 40) 現代書館 1986年 ISBN 4-7684-0040-X
赤坂憲雄『柳田国男の読み方 〜もうひとつの民俗学は可能か』(ちくま新書 7) 筑摩書房 1994年 ISBN 4-480-05607-6
川田稔『柳田国男 その生涯と思想』歴史文化ライブラリー19 吉川弘文館) 1997年 他に4冊未来社刊である。
吉本隆明『柳田国男論・丸山真男論』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2001年 ISBN 4-480-08659-5
鶴見太郎『民俗学の熱き日々 〜柳田国男とその後継者たち』(中公新書 1733) 中央公論新社 2004年 ISBN 4-12-101733-1
NHK教育 知るを楽しむ・私のこだわり人物伝 2006年3月「柳田国男・詩人の魂」語り手・吉増剛造 ISBN 4-14-189140-1
脚注^ なお柳田の読みは「やなぎだ」ではなく「やなぎた」である
^ 『柳田國男 ちくま日本文学全集』 431頁 - 父は姫路藩の儒者角田心蔵の娘婿田島家の弟として一時籍を入れ“田島賢次”という名で仁寿山黌や好古堂という学校で修行し医者となった
^ 上司であった徳川家達との性格不和が原因とされる。官僚の出世コースから外れた國男は以後学者として高名をはせることになった。参考文献:『恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記1919』 ISBN:4532166365
関連項目
柳田國男・松岡家顕彰会記念館
南方熊楠
折口信夫
佐々木喜善
有賀喜左衛門
中村吉治
蝸牛考
岡茂雄
赤松啓介
越知川
民俗資料