枢密院議長
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たとえば、似たような問題として、1930年(昭和5年)浜口内閣におけるロンドン海軍軍縮条約の批准問題がある。このときは、条約批准を目指す政府(民政党政権)と、枢密院、軍部、鳩山一郎らを中心とする野党政友会が対立し、内閣が軍部の意向に反して軍縮を断行するのは天皇の統帥権を侵すものである(統帥権干犯)との非難が浴びせられ、加藤寛治軍令部長による帷幄上奏まで行われ、枢密院でも反浜口内閣の動きが大いに顕在化した。しかし、浜口首相は元老西園寺公望や世論の支持を背景として枢密院に対して断固とした態度で臨み、枢密院のボスとして知られた大物顧問官の伊東巳代治が要求した資料の提出を拒むほどであった。東京日日新聞をはじめとする大新聞も猛烈な枢密院批判で内閣を擁護し、枢密院の議員は内閣の奏請で罷免できると指摘するなど健筆を振るった。こうして枢密院側が折れて浜口内閣は条約批准を達成した。

これほどの対立には至らなくとも、明治から大正にかけて山縣有朋が枢密院を盾に反政党的な策動を行ったことは有名で、山縣の死後も1928年(昭和3年)不戦条約批准問題等において策動した。国政に隠然たる権勢を誇っていたが、1931年(昭和6年)満州事変以後、政党勢力が後退して軍部の台頭が顕著になるに連れてその影響力は低下し、日本国憲法制定により、1947年(昭和22年)に廃止された。

枢密院の建物は、1921年(大正10年)皇居内に建造されたものが、戦後皇宮警察が使用するなどして今も残っている。


歴代枢密院議長・副議長
歴代枢密院議長

代数氏名在任期間
1伊藤博文1888年(明治21年)4月30日
 - 1889年(明治22年)10月30日
2大木喬任1889年(明治22年)12月24日
 - 1891年(明治24年)6月1日
3伊藤博文1891年(明治24年)6月1日
 - 1892年(明治25年)8月8日
4大木喬任1892年(明治25年)8月8日
 - 1893年(明治26年)3月11日
5山縣有朋1893年(明治26年)3月11日
 - 1894年(明治27年)12月18日
6黒田清隆1894年(明治27年)3月17日
 - 1900年(明治33年)8月25日
7西園寺公望1900年(明治33年)10月27日
 - 1903年(明治36年)7月13日
8伊藤博文1903年(明治36年)7月13日
 - 1905年(明治38年)12月21日
9山縣有朋1905年(明治38年)12月21日
 - 1909年(明治42年)6月14日
10伊藤博文1909年(明治42年)6月14日
 - 1909年(明治42年)10月26日
11山縣有朋1909年(明治42年)10月26日
 - 1922年(大正11年)2月1日
12清浦奎吾1922年(大正11年)2月8日
 - 1924年(大正13年)1月7日
13濱尾新1924年(大正13年)1月13日
 - 1925年(大正14年)9月25日
14穂積陳重1925年(大正14年)10月1日
 - 1926年(大正15年)4月8日
15倉富勇三郎1926年(大正15年)4月12日
 - 1934年(昭和9年)5月3日
16一木喜徳郎1934年(昭和9年)5月3日
 - 1936年(昭和11年)3月13日
17平沼騏一郎1936年(昭和11年)3月13日
 - 1939年(昭和14年)1月5日
18近衛文麿1939年(昭和14年)1月5日
 - 1940年(昭和15年)6月24日
19原嘉道1940年(昭和15年)6月24日
 - 1944年(昭和19年)8月7日
20鈴木貫太郎1944年(昭和19年)8月10日
 - 1945年(昭和20年)4月7日
21平沼騏一郎1945年(昭和20年)4月9日
 - 1945年(昭和20年)12月3日
22鈴木貫太郎1945年(昭和20年)12月15日
 - 1946年(昭和21年)6月13日
23清水澄1946年(昭和21年)6月13日
 - 1947年(昭和22年)5月2日


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki