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年表
1928年10月12日 東京松竹楽劇部が発足。12月の一足早く発足した松竹楽劇部(のちのOSK)の東京公演の応援出演からスタートし、翌1929年11月の浅草松竹座での公演から正式に活動を開始。次いで新宿松竹座にも出演した。
1930年4月 恒例の「東京踊り」公演を浅草松竹座と帝国劇場で開始。名古屋松竹座へも出張公演を開始。メンバーも月を重ねる事に増加し、東京一の大レビュー団に成長する。
1930年9月 水の江滝子が髪型を刈り上げ、「男装の麗人」が登場。多くのファンを魅了する。
1930年10月 松組・竹組の二組制になる。
1931年1月 梅組・桜組を新設し、四組制になる。
1932年7月 松竹少女歌劇部(略称・SSK)に改称。
1933年6月 待遇改善を巡り争議が起こる。(桃色争議)
1933年7月 松竹本社の直轄となり、松竹少女歌劇団となる。松竹少女歌劇学校を新設。
1934年9月 本拠を新宿第一劇場に移す。
1937年7月 本拠を浅草国際劇場に移す。
1940年1月 国際劇場は単独興行を打ち切り、映画の封切りに歌劇の併演を行うアトラクションシステムを採用。
1944年3月 戦時体制の強化に伴い、国際劇場が閉鎖されまた退団者も相次いだため、解散。
残留者により「松竹芸能本部女子挺身隊」が組織され、各地の慰問に派遣。翌1945年には「松竹舞踊隊」の名で浅草大勝館等のアトラクションに出演するなどして凌いでいた。
1945年10月 松竹歌劇団(略称・SKD)に改称の上、復活。浅草大勝館で公演を行う。
1947年11月 国際劇場が復興。
1950年11月 松竹少女歌劇学校が松竹音楽舞踊学校に改称。歌舞伎座別館を教室とした。
1951年3月 「東京踊り」に「アトミック・ガールズ」が登場。
1953年6月 「さよならターキー」公演を行う。
1954年3月 松竹音楽舞踊学校、東京劇場4階に移転。
1954年12月 初の海外公演をタイ・バンコクで行う。
1956年3月 エイト・ピーチェス誕生。
1957年6月 大阪松竹歌劇団(OSK)が松竹の手を離れる。(この時までSKDとOSKは姉妹関係で、合同公演などもあった。)
1957年12月 東南アジア公演を行う。
1958年11月 沖縄公演を行う。(当時の沖縄はアメリカの施政下にあったため、海外公演扱い。)
1959年7月 「夏のおどり」で本物の水を使用した大瀑布のセットが登場。
1960年7月 「夏のおどり」より郷土芸能を舞台に採り入れる。
1962年9月 「秋のおどり」で屋台くずしが登場。
1962年4月 ハワイ出張公演を行い、この年より海外公演が定期的に行われるようになる。
1966年1月 「春のおどり」と三月公演の「東京踊り」を統合して、「東京踊り」を一月公演とする。
1966年12月 名古屋・中日劇場での定期公演を開始。
1970年8月 福岡スポーツセンターでの定期公演を開始。
1971年4月 ソ連・東欧公演開始。
1972年9月 小部隊の松竹ダンサーズを結成。
1978年8月「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」作品中に登場。
1979年2月 SKDミュージカル誕生。第一作「カルメン」(脚本・演出 山田洋次)
1981年9月1日 松竹土地興行株式会社に移管される。
1982年4月 国際劇場での公演が打ち切り。海外班がソ連・ドイツ公演に、国内班が船橋ららぽーと劇場公演と地方公演に、それぞれ活躍の場を求めることになる。
1982年8月 創立55周年特別公演「SKDのすべて」を歌舞伎座で行う。
1983年1月 池袋サンシャイン劇場で定期公演を行う。この他、銀座・博品館劇場、渋谷・ジァンジァン、吉祥寺・前進座劇場、豊島園などで公演を行い、7月には歌舞伎座特別公演を行っていた。
1985年6月20日・21日 つくば科学万博のエキスポプラザに出演。
1985年8月 日本コロムビアより90周年記念のLPレコード「松竹歌劇全集」(全5枚組)が発売される。
1988年3月 レビューをやめ、ミュージカル劇団として再編されることが発表される。
1990年2月 新宿厚生年金会館大ホールでレビュー最終公演「東京踊り きのう・今日・明日」が上演される。以後2年間公演を休止してミュージカル劇団としての再編をおこなう。
1992年6月 ミュージカル劇団再編後第一作として賢い女の愚かな選択を東京芸術劇場中ホールで上演。
1996年6月 解団。8月に解散メンバーらによる最後の自主公演「FROM SKD」を銀座博品館で行う。
特徴
技芸員の正装は赤い紋付に、緑(青に近い色)の袴。
正式な団歌は「あこがれの星座」(作詞・原浩一、作曲・田代与志)だが、実際には「桜咲く国」(OSKと共通)が歌われることが多い。
初舞台生のうち、首席入団生はフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられる。1957年に首席の倍賞千恵子がバトンガール役で先頭に立ったのがきっかけ。
初舞台生は、最初は娘役として舞台に立つが、後に個性に応じて男役に転向する。
宝塚やOSKと違い、公式プロフィールに本名が掲載されていた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:Mamenoki