2007年5月28日、衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎1102号室)で首を吊っているのを発見され、心肺停止状態で東京都新宿区信濃町の慶應義塾大学病院に搬送されたが死亡した。現職国務大臣が自殺するのは現行憲法下では初のことである[22]。現役の大臣が自殺したことは日本中に大きな衝撃を与えた。
議員宿舎の松岡の部屋からは内閣総理大臣安倍晋三や小泉内閣の内閣総理大臣秘書官を務めた飯島勲、日本国民などにあてた計8通の遺書が見つかっており、内容としては「私の不徳の致すところで申し訳ない。迷惑をおわび申し上げます」「身命をもって責任とお詫びにかえさせていただきます」と書かれていた。ところが、事務所費問題や談合事件に関する記述は(内容が公表された国民宛のもの、および安倍が口述した範囲では)なく、「安倍総理、日本国万歳」と締めくくられていた。
この自殺を受けて安倍は「慙愧に耐えない[23]。(松岡の自殺により)政権に与える影響は大きい」と自身の任命責任を認め、野党幹部は「安倍首相がかばい続けたからこうなった」として、自分たちの追及が自殺の原因ではないと強調した。なお、自殺当日から6月1日までは環境大臣若林正俊が農林水産大臣臨時代理を務め、その後、赤城徳彦が後任の農林水産大臣となった。[24]
自殺直前の2007年5月24日、松岡は、新党大地代表の衆議院議員鈴木宗男と会食している。[25]鈴木によれば、その席で松岡は「(疑惑については)国対から黙っていろと言われている」と述べたという。しかし、鈴木の証言を受け自由民主党幹事長中川秀直は「国対がそのような指示をした事実はない」と鈴木の証言を真っ向から否定している[要出典]。
2007年5月26日、地元熊本県に戻り、後援会の人たちと会ったり、高齢で一人暮らしの継母が住む実家を訪れ、両親の墓参りをしたりした、ともされている。[26]
さらに、松岡は、日本中央競馬会の主管官庁の長として、皇太子徳仁親王、安倍晋三・安倍昭恵夫妻に「東京優駿(日本ダービー)」の招待状を発送していたが、急きょ自身の予定をキャンセルし、開催日当日の2007年5月27日、彼らを接受するはずだった松岡は欠席している。[27]
また、松岡が運び込まれた慶應義塾大学病院では、同病院で入院治療中だったZARDの坂井泉水が敷地内のスロープから転落し後頭部を強打、27日午後に死亡していたことが明らかになっていたため、すでに多くの報道陣が同病院に詰め掛けており、現場となった議員宿舎から病院に運び込まれる映像までが偶然にも各マスコミにより報道されることとなった。
「真実一路」を信条とする。
トレードマークとも言えるメガネは、伊達メガネである。自身の携帯電話には、日本産のコメを封入した「おいしいお米」ストラップを装着している[28]。
鶏肉が苦手。そのため鳥インフルエンザの風評被害に対する安全PRに宮崎県知事東国原英夫が地鶏のパック詰めを持参した際には、「召し上がってください」と言われたらどうしようとハラハラしたとのこと。同席した農水省幹部に代わりに食べさせようかとも考えたが、実はその幹部も鶏肉が苦手という冗談のような状態だったという。結局地鶏を勧められることにはならず、事なきを得た。
家族・親族
元参議院議員の景山俊太郎とは、長男と景山の娘が婚姻関係にあり親戚である
次男は松岡浩昌NHKアナウンサー
主な所属議員連盟
日中緑化推進議員連盟会長代理
日韓議員連盟
日朝友好議員連盟
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^ a b 『週刊文春 8月16日・23日 夏の特大号(2007年)』 178頁
^ ⇒松岡利勝農林水産大臣の自殺問題 バックには六代目山口組最高幹部
^ 「 ⇒海外日本食レストラン認証有識者会議の設置について」農林水産省、2006年11月2日。
^ 松岡利勝「日本食のファンを世界に拡めたい〜海外における日本食レストランの認証〜」『 ⇒安倍内閣メールマガジン 第10号 〜40年ぶりの給食(2006/12/14)〜』内閣官房内閣広報室、2006年12月14日。
^ 松岡利勝「大臣就任挨拶」『 ⇒安倍内閣メールマガジン 創刊号 〜北朝鮮に対する厳格な措置決定/首脳外交スタート(2006/10/12)〜』内閣官房内閣広報室、2006年10月12日。
^ WBEFは、出資法違反容疑で福岡県警察の家宅捜索を受けた「エフ・エー・シー」の関連団体。