大学側
加藤一郎 - 東京大学総長代行。のち総長に就任
向坊隆 - 工学部長、執行部員。のち総長に就任
平野龍一 - 法学部長、執行部員。のち総長に就任
藤木英雄 - 法学部教授、執行部員。
林健太郎 - 文学部長、執行部員。1968年11月4日から11月12日まで全共闘に監禁され事件となった(林健太郎監禁事件)。のち総長に就任
学生側
山本義隆 - 東大全学共闘会議議長。
今井澄 - 東大全学共闘会議副議長・安田講堂防衛隊長。のち参議院議員(社会党→民主党)
警察側
後藤田正晴 - 警察庁次長。のち警察庁長官、内閣官房長官、副総理兼法務大臣
秦野章 - 最高警備本部長(最高責任者)、警視総監。のち法務大臣
下稲葉耕吉 - 最高警備本部幕僚長兼総合警備本部長(現場指揮担当)、警視庁警備部長、警視長。のち法務大臣
佐々淳行 - 総合警備本部幕僚長(現場指揮担当)、警視庁警備部警備第一課長、警視正。のちあさま山荘事件の警備も担当。のち初代内閣安全保障室長
楢島文穂 - 現場警備本部長(現場指揮担当)、本富士警察署長、警視。
細井為行 - 分隊長。のち弁護士。
警察側の記録によると、この日の封鎖解除で検挙された学生633人のうち、東大生はわずか38人であったという。ただしこれについては、全共闘側の関係者(今井澄、島泰三)から異論が出ており、島は公判で起訴された東大関係者(54名)の数と、全体の逮捕者と起訴された者の比率等から80〜100名程度の東大関係者が東大構内に立て籠もったと推定している。更に、秩父宮ラグビー場における七学部学生集会粉砕闘争で駒場共闘の中心メンバーが100人以上逮捕されていることも考慮しなければならない。
東大全共闘の一部と革マル派は封鎖解除前日の17日「兵力温存」を理由に大学構内から脱出、当日抵抗していたのは他セクトと地方を含む他大学からの応援部隊が中心であった。 革マル派は、後日他セクトから「日和見主義」などの批判を受け、他セクト(特に中核派)との対立を深める結果となった。
参考文献
佐々淳行著『東大落城−安田講堂攻防七十二時間』文藝春秋[文春文庫]
島泰三著『安田講堂 1968-1969』中央公論新社[中公新書]
関連項目
東大紛争(東大闘争)
安田講堂
カテゴリ: 1969年 | 学生運動 | 戦後の事件 | 東京大学
更新日時:2008年7月20日(日)21:26
取得日時:2008/08/17 23:15