当地方を一括して呼ぶ名称は、歴史的に変遷している。まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」とも言われた。
1868年(明治元年)旧暦12月7日、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。
「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、1868年(慶応4年)正月に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」の範囲は、東海道・東山道・北陸道の3道全てを指しており、天皇の在所である畿内からみて北東に位置する地方全体、あるいは、東国と北陸の合成語と考えられる。
明治政府による中央集権的・統一国家的な地方支配が進められる中、当初は政府直轄の石巻県石巻が当地方(軍事的には北海道を含む)を支配する際の中心地とされた。間も無く廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、仙台県仙台(後の宮城県仙台市)が当地方の中心地とされ、仙台に設置された出先機関が管轄する範囲が「東北地方」となり、多くは奥羽両国と同じ範囲であった(北海道との切り離しも図られた→北海道の分領支配)。奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになった。
なお、明治以降135年以上に渡って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に「東北」が多く用いられてきたため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。
戊辰戦争で幕府側にたった中越地方と下越地方の藩が奥羽越列藩同盟に加わったため、明治期の藩閥政治下で新潟県が東北6県と同列に賊軍視され、一体的な統治がされることもあった[要出典]。そのため、当地方の支配の中心地とされた仙台にある国の出先機関が新潟県を管轄する場合があったり、仙台の陸軍第二師団司令部の管轄(仙台師管区)が宮城県・福島県・新潟県の3県であったりした。
民間でも、明治10年代から「東北」の称が頻繁に用いられるようになっていったが、新聞・雑誌各誌では、仙台に本拠を置く出版社を中心に、広く東北6県および新潟県で「東北」を冠した新聞・雑誌が発行され、新潟市でも「東北日報」という新聞が発行されていた(仙台でも同名の新聞が発行されていた→後の河北新報)。また、現在の北陸本線にあたる、近畿地方から新潟県柏崎までの路線建設を計画する会社が1881年(明治14年)7月に設立されたが、その名称も「東北鉄道株式会社」であった。すなわち、1868年の東京奠都および明治天皇の東京行幸の後、京都の他に明治政府が所在する東京も都との認識が生まれ、「東北」の定義域は、畿内から見た場合は現行の東北6県および新潟県、東京から見た場合は現行の東北6県として認識されていたことになる。
現在でも、法的・経済的に新潟県が東北地方に区分される場合がある。それは、明治時代から始まった水力発電との関係が強い。当地での電源開発の最重要地域の1つに阿賀野川(只見川)があるが、これは新潟県下越地方と福島県会津地方(両地域とも分水嶺である奥羽山脈の西側)を流域としており、電力において下越地方と会津地方は不可分であった。このため、「東北7県」を供給範囲とする電力会社として、戦中の1942年には国家総動員法と配電統制令により東北配電、戦後の1950年には電力事業再編政令により東北電力が設立され、その後も「東北7県」を対象範囲とする地域開発の法律がつくられた。
新潟県を含めた7県を「東北地方」と定義する法律(戦後)
北海道東北開発公庫法(1956年?1999年)
中央省庁再編にあわせ、北海道東北開発公庫は解散し、日本政策投資銀行へ継承。
東北開発株式会社法(1957年?1986年)
1986年に東北開発株式会社(特殊会社)は民営化。その後、三菱マテリアルと合併。
東北開発促進法(1957年?2005年)
国土総合開発法の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。