東京駅
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日本橋口

詳細は日本橋 (東京都中央区)を参照

JRの駅の北側にあり、永代通りに面している。正面ロータリーは長距離路線バスの降車場となっており、その先、永代通りの地下は東京地下鉄東西線の大手町駅となっている。日本橋口には東京ステーションシティの開発第一弾としてサピアタワー(地上35階・地下4階)が2007年3月に竣工した。

日本銀行

大和証券グループ本社

東京地下鉄東西線大手町駅・日本橋駅

国道1号永代通り

丸の内トラストタワー


バス路線

詳細は東京駅のバスターミナルを参照


歴史

竣工当時の東京駅(全景)竣工当時の東京駅(前庭より)

1889年神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。

日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年から建設工事が本格化し、1914年12月18日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、『東京駅』と名付けられた。

1919年に中央本線が乗り入れ、1925年に東北本線とつながり、1929年には東側の八重洲口が開設など発展していった。

しかし、太平洋戦争中の1945年5月25日米軍による空襲で丸の内本屋の降車口付近に焼夷弾が命中して大火災となってしまった。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年3月にかけて修復工事を行ったので、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更(その材質はアルミ合金ジュラルミンで、終戦となって製造中止となった戦闘機の余剰品を活用した。)、といった内容だった。

できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省建築家・伊藤滋や松本延太郎達或いは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている(「東京駅戦災復興工事の想い出」松本延太郎著 1991年)。

一方、1929年には八重洲口が開設された。1948年にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年に失火で焼失してしまい、1954年に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はシックなレンガ造りが現在も残っている。

1964年に東海道新幹線が開業し、1972年には総武地下ホーム、1990年には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、当駅は時代に合わせて順次拡大して来た。


年表

1907年明治40年)3月15日 : 基礎工事着手。

1910年(明治43年)9月15日 : 仮駅の呉服橋駅(当駅開業と同時に廃止)が開業。工事中の当駅を通り抜けた300m北側(神田駅寄り)に存在した。

1914年大正3年)2月 : 竣工。

1914年(大正3年)12月20日 : 開業(旅客駅)。東海道本線と京浜電車(後の京浜東北線)の起点となる。

丸の内口の赤レンガの駅舎は建築家辰野金吾によって設計された。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが、根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている[要出典]。開業以前は東海道本線の起点が新橋駅であり、同時に東北本線の起点だった上野駅との連絡のためと宮城(皇居)大手門寄りの東京中央駅として設計された。当初は3階建てで南北にドーム状の屋根があり、また丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分かれていた。


1919年(大正8年)3月1日 : 中央本線が乗り入れ。近距離電車のみの乗り入れで、長距離列車は従来通り飯田町駅発着のままだった。

1925年(大正14年)11月1日 : 東北本線が乗り入れ。

1929年昭和4年)12月16日 : 八重洲口開設。

1945年(昭和20年)5月25日 : 米軍のB-29爆撃機による焼夷弾を丸の内南口ホール付近に受けて丸の内口駅舎が大火災となった。躯体は残ったが、屋根と内装の大部分は焼失してしまった。

1945年(昭和20年)6月25日 : 米軍のB-29爆撃機による爆撃により八重洲口本屋を焼失。

1945年(昭和20年)12月20日 : 丸の内口駅舎修復工事開始。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki