東京箱根間往復大学駅伝競走
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協力

陸上競技社


運営協力

社団法人東京陸上競技協会

神奈川陸上競技協会

名橋日本橋保存会

箱根町

トヨタ自動車(運営車両は本田技研工業、かつては三菱自動車工業。但しトヨタも報道カメラ車としてハイブリッド・ディーゼルトラックダイナハイブリッドを提供している)


表彰

総合優勝校には賞状、優勝カップ、メダル、優勝旗を授与。優勝校監督には記念品を授与。

準優勝校、3位校には賞状、カップ、メダルを授与。

総合4位から10位までは賞状とトロフィーを授与(かつてシード権が9位までの時は入賞も8位までだった)。

往路優勝校、復路優勝校には賞状とトロフィーと副賞を授与。なお、往路優勝校に関しては往路ゴール後に箱根町から提供される地元の名産寄木細工のトロフィーが授与されている。

区間賞者には賞状とトロフィーを授与。

最優秀選手には金栗四三杯を授与。


金栗四三杯

「日本マラソンの父」と評された金栗四三の功績を讃えるため、2004年(第80回大会)に新設された最優秀選手賞。最も優秀な記録を出した選手に授与される。

年度回受賞者/所属大学受賞理由
2004年80鐘ケ江幸治日本学連選抜
筑波大学)5区・区間賞
2005年81今井正人順天堂大学5区・区間新記録
2006年82今井正人順天堂大学5区・区間賞
2007年83佐藤悠基東海大学1区・区間新記録
今井正人順天堂大学5区・区間新記録
2008年84篠藤淳中央学院大学9区・区間新記録


出場資格


1955年第31回大会以前

参加希望校の内、関東学連が承認した全てのチーム


1956年第32回大会

出場校を15チームに限定し、出場全チームを当該同年度秋季の予選会にて選考


1957年第33回大会〜1970年第46回大会

以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
前年度の総合順位10位までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加

他の出場校については当該同年度秋季に行われる予選会に参加し、その予選会上位5チーム

※第40回の記念大会時は例年の15校の他に特例として関西と九州から各1校を招待。


1971年第47回大会〜2002年第78回大会

以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
前年度の総合順位9位までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加

他の出場校については当該同年度秋季(第68回大会から10月下旬)に行われる予選会に参加し、その予選会上位6チーム

※第50回、60回、70回の記念大会時は特例として20チームで実施。増加分の決定方法は年度により異なるので後述の沿革を参照の事。


2003年第79回大会以後

以下の4種類の方法で選んだ合計20チームとする事に変更
前年度の総合順位10位までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加

予選会タイムの上位6チーム

予選会タイムの7位以降については、予選会タイムに関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)のポイント(順位・エントリー数をタイムに換算)を加算した上での上位3チーム(インカレポイントの詳細計算については外部リンクなどを参照。また後述の駅伝偏重とインカレポイントも参照。)

なお、以上の本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学連選抜1チームが参加する(第80回の記念大会は関東学連選抜に代わり日本学連選抜で参加した)。また、学連選抜チームは当初はオープン参加扱いだったために個人記録の公式記録しかつけられず、総合順位の公式記録はつけられなかったが、2007年第83回大会からは総合順位も公式に認められることになった。また、学連選抜チームがシード権を獲得出来る総合順位で10位以内に入った場合、翌年のシード枠が1つ減り、予選会からの出場枠が1つ増える。


備考


予選会について

予選競走に出るには、その年の1月から予選会応募締め切り日までの公式記録で10000m走35分以内か5000m走17分以内のどちらかを作った選手を、補欠も含めて10人以上揃えなければならない(以前はこのような出場資格はなかったが、参加校の増加で予選会の段階である程度出場校を絞り込む必要が出てきたことからこのような資格が設けられた)。

一般論としては、予選に出るということは、本大会の約2ヵ月半前に一度チームや個人としての体調やコンディションのピークを構築(ピーキング)する必要がある為、チームとして年間を通しての調整面でシード校に比べて不利になる。


シード校について

シード(予選免除権 前年の本選で総合10位以内入賞が条件)校の参加は希望制(日本国内での各学連主催の駅伝大会共通)であるが、不参加チームは未だ発生していない(出雲駅伝では発生例あり)。


沿革

1920年 第1回大会として2月中旬に実施。明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京高等師範学校の4校が出場。

第一回開催に当たって、東京帝国大学や中央大学、法政大学、立教大学、日本大学、東京農業大学、東洋大学、専修大学など多くの大学・旧制専門学校・師範学校などに対して参加を呼びかけるが、10人の選手を出場させる状況にある学校が少なく、最終的に第一回はこの4校となった。


1921年 第2回大会に東京農業大学、法政大学、中央大学が初出場。明治大学が初優勝。

1922年 第3回大会に東大農学部実科、日本歯科大学、日本大学が初出場。早稲田大学が初優勝。

1925年 第6回大会の後日、日本大学が3区走者をエントリー選手ではない選手を出したことが発覚、順位成績取消は免れたものの、翌年の大会参加を辞退。

1926年 第7回大会で中央大学が初優勝。

1927年 第8回大会は大正天皇崩御の影響で初めて4月に開催。そのため参加校は5校のみとなった。

1928年 第9回大会に関西大学を特別招待。

1931年 第12回大会に再び関西大学を招待。

1932年 第13回大会に引き続き関西大学を招待。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen