朝鮮民族
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文化・宗教チマチョゴリ

朝鮮民族は人種的にはモンゴロイドで、在外者の大多数を除いて多くの者が朝鮮語を母語とする。

文化的には中国からの影響を強く受けつつも、チマチョゴリなどの服飾文化、キムチなどの食文化(朝鮮料理)やパンソリ、タルチュムなどに独特の特徴が見られる 習俗・習慣の面では、朝鮮王朝時代に民衆に浸透した儒教の影響が、しばしば指摘されるところである。

宗教は、アニミズムを背景としたシャーマニズム的な信仰と儒教との混合形態による先祖崇拝が根付いている。なお、先祖崇拝は東アジア地域共通の特徴であるため、その起源がどこにあるのかを求めるのは難しい。

これに加えて、仏教信仰がある。仏教は高麗時代に国教とされるなどかつては隆盛を誇っていたが、李氏朝鮮が儒教を国教と定めて仏教を弾圧したため、現在では少数派に転じている。

近代には西洋からもたらされたキリスト教が急速に広まった。特に北部ではキリスト教が深く浸透し、平壌は「東洋エルサレム」と呼ばれた。また、こうした新しい外来宗教に刺激される形で朝鮮民族独自の宗教である天道教が興った。第二次世界大戦後は、特に韓国においてキリスト教が強い影響力を持つに至っている。韓国社会におけるキリスト教の浸透は日本と比べてかなり深く、戦後、布教が停止状態にある北朝鮮においても根強く信仰が残っていると見られている。

現代の朝鮮民族には地域差別と地域対立感情が見られる。日本では全羅道出身者に対する差別や慶尚道と全羅道の対立が大統領選挙などを通じて知られているが、済州道に対する差別はさらに根強く激しい。こうした差別は在日社会などにも受け継がれている。また西北差別が長く続いていたとも言われている。ただし、済州島に対する差別を除いては地域感情の歴史は長くないと考えられている。特に慶尚道と全羅道との対立は朴正煕以降、長く慶尚道がエリートのリクルートや資源の配分において優遇されたことが背景となっており[4]、それ以前にどの程度の対立・差別が存在していたのかはつまびらかではない。西北差別については南北分断によって目に見えづらいことが実態をわからなくさせている。


歴史

詳細は朝鮮の歴史を参照

朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗新羅百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国のが新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。

しかしながら、新羅自身も『三国史記』によると四代目の王が倭国北東(日本列島内に所在すると見る向きが多く、丹波国(→上垣外2003 p.70)、但馬国肥後国玉名郡などに比定する説がある。また、新羅人の地理的知識の増加に伴って『三国志』に見える西域の小国の名を借りたか西域の楽神の乾達婆信仰に由来する国名に改めたものであり、倭国の東北とする文言も後世の挿入とみる説もある(→井上訳注1980 p.35)。『三国遺事』では龍城国とされる) から渡来した王であったり、三国志東夷伝によると馬韓(百済の前身)より辰韓(新羅の前身)へ代々王が派遣されていたという記述があるなど、朝鮮民族としての意識の形成がいつごろから生じたものか不明瞭である。また、新羅の後に興った高麗も高句麗継承を主張し、同じく高句麗継承を主張した渤海の亡命者を積極的に受け入れ、渤海が滅びると渤海の旧領領有を計画したり、『三国史記』や『三国遺事』を編纂したりしたことを重視すると、朝鮮民族としての民族意識の萌芽は高麗の時期に形成された可能性が高い。

10世紀に新羅は統一を失い、地方勢力が自立して後高句麗・後百済を立てて後三国時代を迎えるが、やがて後高句麗を滅ぼした高麗が勢力を持ち、新羅を併合して南北にわたる初の統一を成し遂げた。

高麗は13世紀モンゴル帝国の侵攻を受けてモンゴルの立てたの属国となり、元の衰亡とともに独立を回復して失った北方領土を取り戻すが、14世紀に親明を掲げる朝鮮王朝(李氏朝鮮)に王位を奪われた。李氏朝鮮の全盛期には、女真族に対する侵略戦争がたびたび行われた。遂には当時半島北部に勢力を持っていた建州女真の大酋李満住が戦死し、女真族は李朝の支配下に入り差別と抑圧の中同化させられていった。また、朝鮮語を書き表す固有の文字ハングル)などが生み出され、独特の民族文化が形成されていった。

一方でハングルが長らくもっぱら大衆の娯楽や通信に使われるのみであったことに象徴されるように、この時代は官僚を輩出する階層である両班を中心に中国文化に対する影響も依然として深く、特に王朝の国教というべき地位にあった儒教の影響は社会の末端に至るまで広く浸透した。ハングルが漢字との混交文によって初めて公的の書き文字に採用されるのは、李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱した1894年である。

1910年に大韓帝国(朝鮮から国号を変更)は日本に併合されたが(韓国併合)、一方で1919年には三・一独立運動が起こるなど、民族意識は高まりを見せつつあった。また李氏朝鮮末期から日本統治期を挟んで朝鮮戦争終結にかけては、様々な理由でロシア(後にソ連)、日本など朝鮮国外に相当数の人々が移住していき、在外コリアン社会が形成されていった。

第二次世界大戦の日本の敗戦により連合軍により朝鮮半島のほぼ中央を走る北緯38度線を境に南北に分割統治され、その後、北緯38度線を境に北は北朝鮮、南は韓国と各々独立することになるが、朝鮮戦争を経て分断は固定化され、2008年現在もそのままである。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki