1980年前後には共同危険型暴走族は最盛期を迎えた。警察庁の1980年11月調査では、全国で754グループ、38,902名の暴走族が確認された。これは1980年6月に比べて10.8%増の数字である(女性暴走族は948名から1,426名に増加)。低年齢化も進み、1976年には47名だった15歳以下の構成員も、1,208名と約25倍になっていた。1981年にもグループ数は更に増加し、835グループが確認され、8,255名が検挙された(前年比82.5%増)。
彼らは、パンチパーマに剃り込みを入れた髪型に、特攻服に刺繍などで飾り付けをしたものを着て、自分たちのことを「ツッパリ」という語で呼ぶようになり、徒党を組んで集会などを行った。この後、「ツッパリ」は暴走族以外にも拡大して、次第に不良行為を行う事で自己を顕示する少年少女らのスタイルとして定着するようになる。ツッパリファッションを身にまとった「リーゼントロック」[4]音楽バンドが、当時の管理教育に反発する少年層の間で大流行し、ツッパリファッションを子猫に着せた「なめ猫グッズ」が発売されたのもこの時期である。
しかし暴走族文化の拡大とともに、本来は「10代の若者が、学校や社会に反発していることを示す行動様式」とされた共同危険型暴走族は、次第にOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持ち、グループ内の制約遵守や規律を守らない構成員に対する制裁などの掟に、構成員はがんじがらめとなってきた。若者を取り巻く環境の変化に伴って、この厳しい伝統的拘束を嫌う傾向が青少年層に強く見られるようになる。
また、こうした主従関係の維持や、敵対組織に対抗する用意などには、強力なリーダーシップを持つ幹部主導者を必要とするが、大きな責任を背負って組織を運営していくほどの能力と意欲を持つ者が減少し、地縁関係で結ばれる先輩後輩関係の希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響も受け、組織を編成して暴走行為を行うスタイルは成り立ちにくくなってくる。
1980年代半ば以降、大都市においては、厳しい上下関係を嫌う者たちが、アメリカのストリートギャングを真似た「カラーギャング」や「チーマー」と呼ばれる集団へ流れる傾向が見られた。1990年代以降では少年向けファッション誌等の登場に代表されるファッション性重視の少年層増加に伴い、旧来の特攻服をまとったスタイルに垢抜けない「時代遅れ」的なイメージを持つ傾向が強まり、暴走族文化は若者の間で次第に廃れていった。
こうした流れを受け、仲の良い不良少年同士が組織やルールといった従来スタイルに囚われずに、多くても十数名程度の小集団で適当に集まって散発的な暴走行為を行うケースが主流となった。これらでは、従来の「ヤンキースタイル」をしているケースは稀で、大集団となる傾向は見られない。また、バイクのアクセル音でリズムを刻むことを追求したり、ただ単に「乗りたい」というだけの共同危険型暴走族や、走りを重視するゼロヨンやドリフト族などの違法競争型暴走族に姿を変えつつあるなど、社会への反抗といった思想性や既存の特定集団への帰属意識は薄れている。1990年代以降は、違法競争型暴走族の存在感が相対的に増したことで、彼らが高速道路や山岳道路を占拠する状況が社会問題として取りざたされることが増えてきた。
一方で、地方では「ヤンキースタイル」が社会的反抗の様式として伝統的に残っている地域・集団もあり、ある種の「モラトリアム・ファッション」として共同危険型暴走族の形を取る少年が見られる。ただ、これらは1980年代の懐古趣味スタイルという位置付けで、個人が単なるファッションとしてそれを行っているに過ぎないケースも多く見られ、やはり思想背景は含まないものとなっている。
社会環境としても、地域の繁華街や観光地・イベントで周囲を威嚇するなどの行為への対策として、2002年に広島市で暴走族追放条例が施行[5]されたのを皮切りに、全国の自治体で暴走族の取り締まりを目的とする条例を制定する動きが広がった。2004年11月1日には、道路交通法改正により、共同危険行為の摘発に際して必要だった被害者の証言が不要となり、現場の警察官の現認のみで逮捕が可能となった。全国のグループ構成員の総数は、1982年の4万2510人をピークとしてその後は減り続け、2005年には1万5086人となっている。
また、若者離れの影響により、従来であれば後輩を加入させることで「成人したら引退する」といった慣習があったとされる共同危険型暴走族では、既存構成員が成人になった後もずるずると所属し続けたり、勢力維持のために成人OBを呼び戻す例が増えるようになった。警視庁の調査結果によると、暴走族構成員の平均年齢は上がってきており、2006年では6割が成人であるとする統計もある。2000年前後からは、「旧車會」と称して、共同危険型暴走族を引退した後も楽しさを忘れられない者や、少年期に憧れながら加入していなかった者などの成人が集まり、自らの少年時代に新車だったバイク(現在では旧車)を改造して活動する成人版・共同危険型暴走族も現れるようになった。加えて違法競争型暴走族の場合は、もともと共同危険型暴走族よりも年齢層が高めな傾向がある。相対的に少年層よりもこれらの活動のほうが活発という地域も発生し、30?40歳代の成人が検挙されるなど、暴走族の平均年齢を押し上げる要因となっている。
暴走族は主に、学業に付いていけなかったり、家庭の事情(場合によっては育児放棄状態にあるケースも)で家に居辛いといったような理由を持つ少年・少女が、既存のグループに居場所を探し、合流する形でそのスタイルが形成されていった。ドロップアウト・若しくは吹き溜まった格好で集まったこれら不良少年等の中に、特定のスタイル(ファッションや自負)が生まれると、これを取り上げた暴走族漫画(具体的作品は該当項に譲る)などのメディアで興味を持った少年を更に集めていった。
これらは社会から「社会に適応する準備段階に於いて発生する反発」や「(まだ)方向を見出せない若いエネルギーの発散」の範疇と見なされ、モラトリアム行為として、近所迷惑・傍迷惑とはされながらも、ややもすれば容認される傾向も見られ、警察側も無理な追跡は(事故を防止する上でも)避けるといった傾向も見られた。
ただ、社会の寛容さを試すかのように、深夜にわざと爆音を響かせるなど次第に迷惑度を高めたため、近年では警察の取り締まり強化により集団暴走行為が違法化されたこともあって、多台数での暴走そのものが難しくなり、一人もしくは少数グループでゲリラ的に現れ、騒いではすぐに逃げるなどの散発的な活動が増えている。
その一方、暴走族を利用しようと考える社会集団も存在し、暴力団は暴走族を組織化、上納金を納めさせる事で一定の庇護や場所や資材・武器の提供を約束する。この中には違法な薬物[6]の提供も含まれ、これらの供給源と目されている。ただし銃だけは乱射事件などを起こした場合に社会的影響が大きい事や、暴力団との力関係を簡単に逆転させかねない事から供給されないとされる。
上納金は、暴力団組織の中では上位組織ほど集まるようになっているが、末端では上位組織に吸い上げられるだけで、末端組織自身ではある程度地道に金を稼がなければならず、縁日の屋台やお絞りのレンタル業・各種店舗の運営などといった活動で稼いでいるケースも多い。このため、上納金の支払いで汲々としている末端の弱小暴力団にとって、地域の暴走族はまたとない資金源となっており、これらの少年にアルバイトを世話する・パーティー会場を斡旋してパーティー券を販売させ稼がせるなどして、その収益の一部を手数料や上納金として徴収する。
こうして暴力団と一定の関係を持つ暴走族では、その一部が「暴走族卒業」後に暴力団員として雇用される事も見られ、単なるモラトリアム行動というよりも、犯罪予備軍・暴力団予備軍と見なされ、社会的に否定されるようになってきている。このため暴力団との関係を断つため暴走族を解散する場合も見受けられる。
また、2007年頃からの原油価格高騰により、暴走族内部では「原油価格高騰は死活問題」と問題視されていて、車輌のハイブリッド化等も含め、時代に即した新しいタイプの暴走族スタイルを構築していこうという動きも出ている。
「暴走族」や「走り屋」という呼称を格好良いと考える人々を揶揄し、迫力のない「珍走団(ちんそうだん)」という呼称に言い換えることによって格好悪いイメージに塗りかえ、参加者や憧れを持つ少年らを減らそうという「珍呼運動(ちんこうんどう)」がインターネット上で散見される。同様に仲間内の「専門用語」も格好悪く言い換えること(例:「レディース」→ 「女珍、女珍団(にょちん、にょちんだん)」、冬季の「徒歩暴走族」→「珍歩団(ちんぽだん)」、「特攻服」→「珍服、寿司屋の湯呑み」、「族車」→「珍車、珍装車」など)も提唱されている。