現代人が通常考える時間は連続体であり、実数で表せる。つまりいくらでも短い時間間隔が存在すると考えている。だが物質の最小単位として原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられる。例えば映画フィルムのように一コマ以下の時間は存在しないという考えである。物理学ではこの最小時間間隔をプランク時間と呼ぶ。[26]
スティーヴン・ホーキングとジェームズ・ハートルは1983年に発表した無境界仮説において、複素数にまで拡張した時間を計算に使用した。ここから、宇宙の始まりでビッグバン以前の時間が虚数であれば時間的特異点が解消されるとも主張した。なお、相対性理論では時間軸の単位として虚数表現ictを使うことがありこれを虚時間とも言うが、これは無境界仮説での虚数時間とは別のものである。
バラバラな時間「時間」とは、元来バラバラで全然関係の無い「瞬間」がランダムに並んでいるに過ぎず、時間の連続性や因果律など存在しないという考え[要出典]。因果律や連続性があるように感じるのは人間の錯覚か、時間に干渉できる何者かの作為、とされる。[27]
時間の進行を速くする、遅くする、停止するというアイディアは昔から見られる。例えば浦島太郎、リップ・ヴァン・ウィンクルのように特定の場所や状況で時間の進行が異なるという昔話がある。現在の科学の用語と絡めて語られる設定としては、"相対性理論を応用して亜光速の宇宙船に乗る"、"ブラックホール等の重力ポテンシャルの異なる場所を通る"などといったものがある。時間停止については該当項目を参照のこと。
時間そのものの進行を変える、とするものではないが、関連するテーマとして、主観的な時間が止まったり生理的な反応を遅くするという発想もある。昔話の眠れる森の美女などをそれと見なすことも可能である。SFの分野などでは、「人工冬眠」「コールドスリープ」「冷凍保存」といった設定が見受けられる。
ある物体や場所など宇宙の一部分のみの時間を逆転できれば、壊れた物を元に戻したり、死人をよみがえらせたり、無くしたものを取り戻したりできる、などとされる。
時間軸を空間の座標軸と同様に表現して見れば、空間を移動するのと同様に時間軸方向に自在に移動できないかというアイディアが生まれる。このアイディアの初期のものとしてはウェルズの小説『タイムマシン』が有名である。(タイムトラベルも参照可)
過去や未来の現象を直接観測することは現在知られている科学では原理的にできない。過去に起きたことや未来の可能性を知るのは、あくまでも現在の観測に基づいた推測によるのである。特に未来の直接観測は予知や予言と呼ばれる。タイムトラベルとは異なり過去や未来に直接関与するのではないが、いわば情報のみをタイムトラベルさせるのだとも言える。未来の直接観測は、それを知った者の現在の行動が変わることで未来を変える可能性がある、などと考え、これは一種のタイムパラドックスを生む、などと考える人もいる。
出典 脚注^ a b c 「日本国語大辞典?第六版」小学館(2001/06)
^ a b c 「広辞苑?第五版」岩波書店(1998/11)
^ a b c d 「国語辞典?第六版」岩波書店(2000/11)
^ a b c 「大辞林?第三版」三省堂(2006/10)
^ a b c 「日本語大辞典」講談社(1989/11)
^ 自然科学分野に限らず、先進国の子供や老人も含めて、という意味。
^ これに関しては「時間は林檎のような物ではない」「戦争のような出来事ではない」「特定の物に備わっている性質やそのカテゴリーでもない」などといった「?ではない」系の表現も多々見られる[要出典]。ただし、「?ではない」系の表現は、実際は誰でも(幼稚園児でも)簡単に数百でも数千でも(ほぼ語彙の数だけ)作れるものである。この類の表明は、一種の存在論的表明と見なすことも可能ではあるかもしれないが、(衒学趣味の人間や、ただの評論家や、若者などがこの類の表現を多用する傾向があり[要出典])、単なる言葉遊びにすぎず、ほとんど無意味な表明、と見なすことも可能である。哲学的探求とは通常、これ以上の記述を構築してゆくものである。