明石家さんま
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1980年代前半

20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。

笑っていいとも!ではタモリと共に佐賀県をこき下ろした発言を繰り返した。また、別番組ではサガテレビの内田信子アナウンサー(当時)を必要以上にからかうなど、佐賀と言うだけで必要以上に侮蔑したりする態度を見せていた。


1980年代後半

1985年サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。

1985年、第1回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソー知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。

1989年10月6日放送のさんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんま目掛けて2度もかけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。

1987年ナムコファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。


1990年代前半

この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれた。

この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドがなぜか折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とツッコまれて気がつく)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つことをしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られることになる。

卓球福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせたことがある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。

1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子シンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だった。そこでシンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、そこへ本人が登場し、研ともども、土下座して謝った。


1990年代後半

1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を降板。降板理由について当時週刊誌では「面白おかしく不真面目にやっていたさんまがスタッフに”真面目にやってください”と言われ激怒した」とささやかれていたが、2008年のFNSの日において、さんま本人がレギュラー当時いいとものコーナーであった「タモリンピック」についてふれられ、「タモリンピックふざけてやったら降ろされた」とさんま本人もみとめている。

1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士、小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。さんまは撮影後、「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたと言われている。

1997年12月11日、『いいとも』・テレフォンショッキングで、前妻の大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演は、2008年FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!内テレフォンショッキングまでない。

1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。


2000年代前半
2000年


7月7日、TBSスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。

2001年


FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー『クイズ$ミリオネア』に出演し、9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki