明石家さんま
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私生活

石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で関係のあった人物として公表される。

よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあり、宮迫博之からは『痛快!明石家電視台』収録のための移動(新幹線)では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上ずっとしゃべり続けており、「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝られなくて困っている」と言われている。常時しゃべっているため喉への負担が大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。

ジミー大西、間寛平、村上ショージ、笑福亭笑瓶、松尾伴内、フットボールアワーの岩尾、大泉洋には絶対生まれ変わりたくないらしい。

滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走ると言う(実際にやった東野幸治は逆に悪化したと発言している)。

運転免許は娘が産まれた後取得した。当時の妻・大竹しのぶは女性誌の取材で「子供を生んでからしばらくの間、腰痛で運転したくなかった。代わりに運転するためにさんまさんが免許を取った」と言っているが、自身は番組で「運転を名目に、娘のおむつ交換から逃げられるから免許を取った」と度々言っている。

2006年にビルを購入している。


家族

実母とは死別している。また、1983年4月に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。

実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になるのを反対していたようだが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店するという手のひら返しをした。また、電話で本名の高文でなくさんまと呼ぶようになり、さんま本人はショックを受けたそうだ。

1988年9月、女優大竹しのぶと結婚、長女が誕生するが、1992年9月に離婚。

子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。但し、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない長男(大竹しのぶの連れ子)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。

座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から名付けたとしているが、大竹は「今を生きる」から名付けたと言っている。TV等では名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切無かったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男とともに電話出演が一度ある。

2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、再婚する気は満々らしい。また、番組中に長女が3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを紹介している。


ひょうきん族エピソード

1981年ビートたけし島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。

人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーになる。

出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。


1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗する予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京?大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した(沖縄や海外ではやむなく飛行機を使う)。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。

『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」に化けていたさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』あるいは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」という挨拶であるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少なく、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していた。

1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の下 再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。

「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。

怪人アミダ婆。コシノ・ジュンコ、デザインの服、桑田佳祐作詞作曲のアミダ婆の曲で登場。

怪人ビックリ箱。ビックリ箱で人を驚かせる。感傷的なテーマソング曲の作詞作曲は松山千春

怪人ナンデスカ。万博に似せたテーマソングで登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。

数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢が無い」と苦情がきてわずが3週で消えてしまう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki