若年時代
さんまの出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。
高校時代に運動会の徒競走で「よーいドン」と共に後ろへ逆走した。その結果、運動会は一時中断しさんま含む8人の悪ふざけグループは正座させられ、教師に竹の旗で頭を叩かれる。ある一人に対しての音が「バシッ」ではなく「ポコン」だった為さんまは笑いをこらえ下を向いていた。その時教師に全校生徒に「見てみろ!杉本が泣いてるぞ!こんな男でも反省するんだ、杉本泣いてるな?」の言葉にさんまは「プッ」と吹き出してしまった。それを見た教師はさんまを追いかけ腕を掴んで怒られている時に、新聞部の生徒が写真を撮った。後に番組でその写真が見つかり長嶋一茂が「Tシャツにしてください」ということで、2007年の『さんま・中居の今夜も眠れない』でそのTシャツを着て出演した。ちなみにそのTシャツには写真と「Please!! give me a break?」の文字が描かれていた。
さんまは中学、高校の頃はアメリカの女子水泳選手:シャーリー・ババショフのファンであったことを、1997年頃の自分の番組『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBS)の中で語っていた。その縁でババショフがさんまの番組にVTRで出演してくれたことがある。
小学生時代は肥満であった。
少年期の頃はプロレスラー志望で体を大きくしたいために「毎日肉が食べたい」と懇願する。
内弟子時代
1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、松之助に入門の理由を問われたさんまは「センスがある」と、さんまとしては素直な気持ちを伝えただけだったが、それに対し松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。この時に春風亭小朝と出会っている。
関西ローカル時代
1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇ〜す」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。
1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。
駆け出しの頃は、よく同期の島田紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。
1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。
1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。
また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。
営業の余興で島田紳助の手足を縛り上げプールに落とし脱出するという脱出劇をするが、水没する紳助が見たのは両手を叩いて大笑いしているさんまの顔だった。
1980年代前半
20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。
笑っていいとも!ではタモリと共に佐賀県をこき下ろした発言を繰り返した。また、別番組ではサガテレビの内田信子アナウンサー(当時)を必要以上にからかうなど、佐賀と言うだけで必要以上に侮蔑したりする態度を見せていた。
1980年代後半
1985年、サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。