歴史
1605年(慶長10年) 甲州街道が整備され、日野宿定まる。
1871年(明治4年) 廃藩置県に伴い日野宿、神奈川県に編入。
1878年(明治11年) 多摩郡が分割され日野宿は南多摩郡に属す。初代郡長に日野宿の佐藤俊正(佐藤彦五郎が改名)が任命される。
1893年(明治26年) 三多摩が神奈川県から東京府に編入。日野宿を日野町と改称。
1901年(明治34年) 日野町、桑田村を合併。
1958年(昭和33年) 日野町、七生村を合併。現在の市域となる。
1963年(昭和38年) 市制施行(11月3日/全国559番目)
市名の由来市名の由来は諸説あるがはっきりしていない。『武蔵名勝図会』によれば、府中にあった国府の烽火台が置かれたことによるという「飛火野説」をとっている。和銅6年火野を日野に改めたという。また、『新編武蔵風土記稿』によれば、武蔵七党のうち西党の祖日奉宗頼が、遠祖天御中主神を勧請して日野宮権現を祀ったという伝説に基づくという。他の説として、応永32年ころ、日野中納言資朝の玄孫、宮内資忠なるものが、当所に移住して土淵ノ庄をはじめて日野と号したという説も載せている。[1]。
日野宿日野宿本陣日野宿(ひのじゅく)は甲州街道の5番目の宿場町であり、日野市の前身である。宿場町として整備されたのは1605年(慶長10年)のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれている。甲州街道は幾度か経路の変遷があるが、1685年以降、日野橋の開通までは、日野の渡しで多摩川を越え、東京都道149号立川日野線を南下し、新奥多摩街道入口信号で右折して東京都道256号八王子国立線を西進、日野駅前東交差点北側の日野不動産裏を左折して日野自動車手前で現甲州街道に合流する道筋だった。本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物が建っている。その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎が天然理心流の道場を開いた。この道場で剣術を教えていたのがのちの新選組局長近藤勇である。近藤と土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助ら新選組主要メンバーはここで出会った。この向かいに問屋場と高札場があったが、現在は石碑が建つのみである。
日野市と全国の年齢別人口分布図(比較)日野市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は日野市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
1980年145,448人
1985年156,031人
1990年165,928人
1995年166,537人
2000年167,942人
2005年176,538人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
行政日野市役所
市長 : 馬場弘融(ばば・ひろみち、任期満了日 : 2009年4月)
[2]。壬生浪士組隊士、馬場兵助の曾孫にあたる。
現在の重点施策は、ゴミ問題などの環境問題。
会派名議席数代表者
自民クラブ7梅田俊幸
公明党5馬場繁夫
日本共産党日野市議団5奥野倫子
市民クラブ(民主系)5秋山薫
無会派3(社民1)
組織
企画部
総務部
市民部
環境共生部
まちづくり部
健康福祉部
子ども部
教育部
平成17年第1回市議会での市長の施政方針によれば、現在の行政課題は以下の4つである。
地域の安全の確保
医療、健康推進事業の充実[3]
子育て支援
行財政改革による効率化、サービス向上
このほか、ゴミ問題、区画整理事業の遂行、国道20号日野バイパスの全通などが挙げられる。
広域行政
東京都十一市競輪事業組合 - 八王子、武蔵野、青梅、昭島、調布、町田、小金井、小平、東村山、国分寺および本市の11市で京王閣競輪を開催している。
東京都四市競艇事業組合 - 小平、東村山、国分寺、および本市の4市で多摩川競艇を開催している。
衆議院小選挙区選挙では、立川・昭島市とともに東京21区に属する。近年選出の議員は以下のとおり。
2003年11月(第43回衆議院議員総選挙)
長島昭久(民主)
2005年9月(第44回衆議院議員総選挙)
小川友一(自民)