日本
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歴史

国家としての日本、または日本の文化・民族は、長い年月を経て段階的に形成されてきており、建国時期を示す明確な画期はない。建国記念の日(旧紀元節)は、記紀において神武天皇が即位したとされる日(紀元前660年1月1日 (旧暦))である。

日本列島には約10万年前ないし約3万年前から人が住み始めた。約1万2千年前の前後にアジア大陸と分離すると、東アジア文化圏の影響下にありつつも、独自の文化・社会・政治体制を築いていった。国家としての「日本」が成立したのは7世紀後半から8世紀初頭にかけての時期である。「日本」は東アジアの中でも独特な国際的地位を保持し続け、13世紀元寇16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出などの事態にも対応して独立を維持した。明治維新によって日本は近代国家として著しい発展を見せ、アジアで初めて憲法議会を持つ、近代的な立憲国家となった[4]。その後の大正デモクラシーを経て、政党政治普通選挙を実現したが、次第に軍部が台頭し始め、急速な拡大を志向するも太平洋戦争で敗北し、連合国(主に米国)の占領下に置かれることとなった(1952年(昭和27年)に国家の主権を回復)。戦後は戦禍からの復興と共に高度経済成長を遂げ、世界有数の経済大国となった。(→日本の歴史


民族・言語

古来から日本で暮らしてきた人々は日本民族(大和民族)と呼ばれ、現在も日本に住む人間のほとんどを占める。それ以外に外国人が約130万人、帰化人が数十万以上在住している[5]。全土で日本語が話されており、識字率は極めて高い。(民族言語の項も参照の事)


政治

政治は、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法を最高法規として行われる。統治機構は、立法権国会司法権裁判所行政権内閣に分配する三権分立制を採る。国民主権基本的人権の尊重、平和主義を憲法の三大原理とし、その根本にある個人の尊重個人の尊厳)を基調とする。また、憲法に元首の定めはないものの、世襲である天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)として、元首またはそれに準じた地位に置く。


天皇

天皇は、初代から第125代の今上天皇(現在の天皇明仁)に至るまで、すべて男系で世襲されてきた(万世一系)。直接統治を行う事は稀で、豪族貴族幕府政府といった世俗の権力が代わって統治する事が多かった。天皇は主として、その政治権力の担い手の正当性を根拠づけ、権威を表象する役割を果たした。明治以降は立憲君主制の形をとり、第二次大戦後から現在は日本国憲法の定めるところにより「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第一条)と位置づけられている。


外交

日本は同盟国アメリカ合衆国国際連合との関係を最重視しつつ、世界中の国と友好関係を築いている。

イギリスBBCワールドサービスが2005年より毎年公表している、10前後の特定の国および地域が世界に与えている影響の印象を尋ねる世界規模の世論調査では、日本が質問対象国となった2006?2008年の各年いずれも、「好影響を与えていると思う」との回答率がもっとも高い国の一つとなった。日本は、国際的に非常に高い評価を得ている[6]


国号

国号には「日本国」が通常用いられる。日が昇る「ひのもと」の地であることに由来していると考えられている。

根本法令である憲法の表題には、「日本国憲法」「大日本帝国憲法」のように「日本」国号が明示されてはいるが、国号を日本国と直接かつ明確に規定した法令はない。


国号の成立

「日本」という国号が成立した時期は、7世紀後半から8世紀当初までの間と考えられている。「日本」の国号が成立する以前、古代中国の諸王朝では日本列島あるいはそこに住む人種を指して「倭」または「倭国」と称していた。やがてヤマト王権によって統一が進み国家としての体裁が整い始めると、王権が認識する国号である「ヤマト」の借時として漢字の「倭」を使用するようになり、美称として「大倭」と記すようになる。7世紀後半のころより「倭」の持つ意味を嫌い「ヤマト」に当てる漢字が「大養徳」や「大和」などに改まっていくが、その中で美称として出てきたものが「日本」であると考えられている。

この「日本」という国号の成立には、天武天皇治世において成立したとする説[7]と、701年大宝元年)の大宝律令成立前後に成立したとする説[8]が有力視されている。『日本書紀』大化元年七月条に高句麗百済からの使者への詔に「明神御宇日本天皇」とあるが、これは後に定められた大宝律令公式令を元にして『日本書紀』編者が、潤色を加えたものと今日では考えられている[9]

7世紀後半はが対外志向を強め、これに脅威をおぼえた唐周辺諸国が、国力増強のために国制整備を進めた時期だった。倭国もまた660年の百済復興戦争で唐・新羅に敗北し、国際的な孤立へと追い込まれ、以後、倭国は律令制の導入などにより精力的な国制整備に取り組んだ。この取り組みを大きく推進したのが天武天皇だった。天皇中心の国制整備を進める天武治世期において天皇号が生まれたと現在考えられているが、「日本」国号の成立を天皇号の成立と同時期と見るのが、前者説である(例えば吉田孝飛鳥浄御原令(689年)にて「日本」国号と天皇号が定められたと推測している[10])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki