現在の日本国民の大半は特定の宗教を信仰しているという自覚はない。歴史的には、「神道」と呼ばれるアニミズム的信仰と外来思想の仏教が広く信仰されてきた。神道と仏教は半ば融合した宗教組織の形をとり、神道がアニミズム的側面や婚礼儀式を、仏教が理論的側面や葬式を担当するなど、分業的共存をしていた。明治時代の国家神道形成と神仏分離令によって、神道と仏教は別個の宗教組織の形をとるようになった。カトリックやプロテスタントなどのキリスト教徒もいるが、洗礼を受けた正式な信徒・教会員は総人口の1%を超えることはなく、教会組織も社会に強い影響力を持たない。しかしクリスマスなどのいくつかの儀式・祭礼は本来の宗教とは関係なくしばしば商業的なイベントとして多くの国民に受け容れられ、文学者や思想家などに見られるキリスト教徒文化人の社会的な影響も、必ずしも小さいわけではない。イスラム教徒やユダヤ教徒は、在日外国人を除けば数えるほどわずかしか存在しない。全体から見れば多くはないが、仏教系や神道系、あるいはキリスト教系を標榜する教団を主体にさまざまな新興宗教に所属するものもおり、カルト的な教団が社会問題になることもある。また、公立学校では憲法の政教分離規定により宗教教育を受ける機会はなく、大学でも宗教学部を置いているところは少数派である。そのため、国民の多くは自分自身の持つ宗教心や身についた宗教伝統に関して自覚的でないことが多い。正月の初詣に限れば神道は他の宗教には比肩しえない動員数を持つが(2006年(平成18年)の正月三が日の神社参拝者数はのべ9000万人)、これも現在ではクリスマス等と同列のイベント的側面の強いものとなっており、これを厳密な意味での宗教行為と考える学者は少ない。また神道の重要な神事である祭りは日本全国で、その土地ならではの特色で様々な時期に開催されるが、祭の主催者と参加者は共におおむね特定の氏子団体やボランティアで完結している例が多く、多くの一般住民にとっては外から観覧して楽しむものであり、儀式としての当事者的な参加意識は希薄である。
日本の文化は、近隣地域の文化を取り入れつつ独自に発展してきた。人間の集団あるところに文化は存在する以上、島国である日本には縄文時代のころから何らかの独自の文化があったのは想像に難くないが、文字を持たなかったため、それらを正確に知る術は存在しない。南方からの文化の伝搬も想定されるが、少なくとも表面的には大きな影響を残さない。その後4世紀頃から9世紀頃まで、大陸の文化が渡来人により伝わった。日本も遣隋使・遣唐使や留学生を派遣して積極的に中国の文化を取り入れた。大陸との往来が減った10世紀頃からは、これらの輸入された東アジア文化が日本特有の文化へと発展する。その後北宋との貿易により、禅宗が紹介され、喫茶の習慣が禅宗寺院に定着する。14世紀から16世紀の間、特に東山文化において、猿楽(後の能)や茶の湯(後の茶道)、枯山水などの庭園や書院造などの建築といった、現在「日本的」と考えられている「侘び・寂び」の文化が生み出された。その後、16世紀半ばからヨーロッパ文化がもたらされ、日本の文化に刺激を与えた。しかし後のキリスト教禁教や鎖国のため、ヨーロッパ文化の後世への影響は、喫煙の習慣などを除くと、地域的なものにとどまった。 17世紀以降の江戸時代には、安定と鎖国による閉鎖された環境の中で、再び日本独自の文化が発展し、歌舞伎、浮世絵などの文化が大衆に広がった。葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』葛飾北斎の『凱風快晴』
この間、北ではアイヌの文化が独自の様相を見せている。また、旧琉球王国領域は言語的には日本語に極めて近いことから、基本的共通性は認められるものの、時に交流を持ちつつもおおむね独自の道を歩み、琉球王国を形成する。これらの詳細についてはそれぞれの項を参照。この状況は明治維新によって区切りが付く。
明治維新後、日本は西洋式の独立国家としての体裁を整えた。国策の一部として伝統文化は抑圧され、欧米の文化が急速に取り入れられた(廃仏毀釈、文明開化)。都市部では様々なものの欧米化が進み、庶民の生活に大きな影響を与えた。その一方で、日常生活では伝統的な生活習慣が根強く残り、特に地方では依然として伝統的な文化が維持されていた。地方の伝統文化が解体されるのは、戦後の高度成長以後である。大正期には経済の好景気などを受けて、アメリカ合衆国の大衆文化を取り入れたスポーツ、映画などの、享楽的な文化が流行した。しかし、1920年代以降、昭和に入ると陸軍の政策により、第二次世界大戦の戦時下で欧米風の文化は厳しく統制されていった。
1945年(昭和20年)に政府がポツダム宣言を受諾すると、連合国軍最高司令官総司令部のアメリカ軍が主導して日本の民主主義の復活強化を進め、それとともに日本の文化もアメリカ流の生活・文化を目標とするようになる。占領した連合国将兵の生活様式及び民間情報教育局 (CIE) の視聴覚教育によるアメリカ合衆国の公報映画を間近にみることは、各地で文化的衝撃を与えた。それと同時に、日本古来の文化は軽視されるようになった。
高度経済成長期に至ると従来の生活習慣は大幅に変わっていき、伝統的な文化の多くが失われていった。一方で、日本人は自信をつけ、自国文化を再評価するようになる。例えば1970年(昭和45年)に行われた大阪万博の太陽の塔は、縄文芸術をモチーフにしたものとされている。また、大衆文化においてアニメやマンガといった新しく生み出された日本独自の表現方法も、日本から世界に向けて発信されている。これらの日本文化は摩擦を乗りこえ、若い世代を中心に広がっている。