日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では「柿」を [kag?]、「鍵」を [ka??] のように発音するが[75]、この両語を通常の仮名では書き分けられない(アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、「カギ」と「カンキ゜」のようになる)。もっとも、方言は書き言葉として用いられることが少ないため、実際上に不便を来すことは少ない。
岩手県気仙方言(ケセン語)について、山浦玄嗣により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある[76]。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。
琉球語(「系統」参照)の表記体系も日本語のそれを準用している。たとえば、琉歌「てんさごの花」(てぃんさぐぬ花)は、伝統的な表記法では次のように記す。
てんさごの花や 爪先に染めて 親の寄せごとや 肝に染めれ[77]
この表記法では、たとえば、琉球語の2種の母音([u] と [?u] など)は書き分けられない。表音的に記せば、[ti??agunu hanaja ?imi?a?i?i sumiti, ?ujanu ju?igutuja ?imu?i sumiri] のようになるところである[78]。
漢字表記の面では、地域文字というべきものが各地に存在する。たとえば、名古屋市の地名「杁中(いりなか)」などに使われる「杁」は、名古屋と関係ある地域の「地域文字」である。また、「垰」は「たお」「たわ」などと読まれる国字で、中国地方ほかで定着しているという[79]。
文は、目的や場面などに応じて、さまざまな異なった様式をとる。この様式のことを、書き言葉(文章)では「文体」と称し、話し言葉(談話)では「話体」[80]と称する。
日本語では、とりわけ文末の助動詞・助詞などに文体差が顕著に表れる。このことは、「ですます体」「でございます体」「だ体」「である体」「ありんす言葉」(江戸・新吉原の遊女の言葉)「てよだわ言葉」(明治中期から流行した若い女性の言葉)などの名称に典型的に表れている。それぞれの文体・話体の差は大きいが、日本語話者は、複数の文体・話体を常に切り替えながら使用している。
なお、「文体」の用語は、書かれた文章だけではなく談話についても適用されるため[81]、以下では「文体」に「話体」も含めて述べる。また、文語文・口語文などについては「文体史」の節に譲る。
日本語の文体は、大きく普通体(常体)および丁寧体(敬体)の2種類に分かれる。日本語話者は日常生活で両文体を適宜使い分ける。日本語学習者は、初めに丁寧体を、次に普通体を順次学習することが一般的である。普通体は相手を意識しないかのような文体であるため独語体と称し、丁寧体は相手を意識する文体であるため対話体と称することもある[82]。
普通体と丁寧体の違いは次のように現れる。
普通体 丁寧体
もうすぐ春だ(春である)。 もうすぐ春です。 (名詞文)
ここは静かだ(静かである)。 ここは静かです。 (形容動詞文)
野山の花が美しい。 (野山の花が美しいです。) (形容詞文)
鳥が空を飛ぶ。 鳥が空を飛びます。 (動詞文)
普通体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、「だ」または「である」をつけた形で結ぶ。前者を特に「だ体」、後者を特に「である体」と呼ぶこともある。
丁寧体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、助動詞「です」をつけた形で結ぶ。また、形容詞が来る場合にも「です」をつけることができるが、そのような文型は避けられる傾向がある(「花が美しいです」を避けて「花が美しく咲いています」と動詞で結ぶなど)。一方、動詞が来る場合には「ます」をつけた形で結ぶ。ここから、丁寧体を「ですます体」と呼ぶこともある。丁寧の度合いをより強め、「です」の代わりに「でございます」を用いた文体を、特に「でございます体」と呼ぶこともある。丁寧体は、敬語の面から言えば丁寧語を用いた文体ということになる。
談話の文体(話体)は、話し手の性別・年齢・職業など、位相の違いによって左右される部分が大きい。「私は食事をしてきました」という丁寧体は、話し手の属性によって、たとえば、次のような変容がある。
ぼく、ごはん食べてきたよ。(男性のくだけた文体)
おれ、めし食ってきたぜ。(男性のやや乱暴な文体)
あたし、ごはん食べてきたの。(女性のくだけた文体)
わたくし、食事をしてまいりました。(成人の改まった文体)
このように異なる言葉遣いのそれぞれを位相語と言い、それぞれの差を位相差という。
物語の書き手などが、仮想的(バーチャル)な位相を意図的に作り出す場合もある。このような言葉遣いを「役割語」と称することがある[83]。例えば以下の文体は、実際の博士・令嬢・地方出身者などが用いることはないものの、小説・漫画・アニメ・ドラマなどで、仮想的にそれらしい感じを与える文体として広く観察される。これは現代に始まったものではなく、近世や近代の文献にも役割語の例が認められる(仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』に現れる外国人らしい言葉遣いなど)。
わしは、食事をしてきたのじゃ。(博士風)
あたくし、お食事をいただいてまいりましてよ。(お嬢様風)
おら、めし食ってきただよ。(田舎者風)
ワタシ、ごはん食べてきたアルヨ。(中国人(協和語)風)
日本語では、待遇表現が文法的・語彙的な体系を形作っている。とりわけ、相手に敬意を示す言葉(敬語)において顕著である。
「敬語は日本にしかない」と言われることがあるが、日本と同様に敬語が文法的・語彙的体系を形作っている言語としては朝鮮語・ジャワ語・ベトナム語・チベット語などがあり、尊敬・謙譲・丁寧の区別もある[84]。朝鮮語ではたとえば動詞「??」(出す)は、敬語形「???」(出される)・「???」(出します)の形を持つ。日本語の「お出しする」に相当する形はない。
敬語体系はなくとも、敬意を示す表現自体は、さまざまな言語に広く観察される。たとえば、英語では "Please help me." の "Please" や、"Would you marry me?" の "Would" などの語によって敬意を表している。相手を敬い、物を丁寧に言うことは、発達した社会ならばどこでも必要とされる。そうした言い方を習得することは、どの言語でも容易でない。
以下、日本語の敬語体系および敬意表現について述べる。
日本語の敬語体系は、一般に、大きく尊敬語・謙譲語・丁寧語に分類される。文化審議会国語分科会は、2007年2月に「敬語の指針」を答申し、これに丁重語および美化語を含めた5分類を示している[85]。