上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方が成り立つ。三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、
甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。
という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。一方、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である[30]。
この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、
ハマチの成長したものをブリという。
ここでニュースをお伝えします。
日一日と暖かくなってきました。
などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文とみなして差し支えない。
今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。一般的には格助詞「ガ」を伴う文法項を主語とみなす。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場をとるが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている[32]。現在一般的に行われている学校教育における文法(学校文法)では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもある[33]。
文を主語・述語から成り立つと捉える立場でも、この2要素だけでは文の構造を十分に説明できない。主語・述語には、さらに修飾語などの要素が付け加わって、より複雑な文が形成される。文を成り立たせるこれらの要素を「文の成分」と称する。
学校文法では、文の成分として「主語」「述語」「修飾語」(連用修飾語・連体修飾語)「接続語」「独立語」、および、教科書によっては「並立語」を立てる。以下、学校文法の区分に従いつつ、それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる。
主語・述語 文を成り立たせる基本的な成分である。ことに述語は、文をまとめる重要な役割を果たす。「雨が降る。」「本が多い。」「私は学生だ。」などは、いずれも主語・述語から成り立っている。教科書によっては、述語を文のまとめ役として最も重視する一方、主語については修飾語と合わせて説明するものもある(前節「主語廃止論」参照)。
連用修飾語 用言にかかる修飾語である(用言については「自立語」の節を参照)。「兄が弟に算数を教える。」という文で「弟に」「算数を」など格を表す部分は、述語の動詞「教える」にかかる連用修飾語ということになる。また、「算数をみっちり教える。」「算数を熱心に教える。」という文の「みっちり」「熱心に」なども、「教える」にかかる連用修飾語である。ただし、「弟に」「算数を」などの成分を欠くと、基本的な事実関係が伝わらないのに対し、「みっちり」「熱心に」などの成分は、欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない。ここから、前者は文の根幹をなすとして補充成分と称し、後者に限って修飾成分と称する説もある[34]。国語教科書でもこの2者を区別して説明するものがある。
連体修飾語 体言にかかる修飾語である(体言については「自立語」の節を参照)。「私の本」「動く歩道」「赤い髪飾り」「大きな瞳」の「私の」「動く」「赤い」「大きな」は連体修飾語である。鈴木重幸・鈴木康之・高橋太郎・鈴木泰らは、ものを表す文の成分に特徴を付与し、そのものがどんなものであるかを規定(限定)する文の成分であるとして、連体修飾語を「規定語」(または「連体規定語」)と呼んでいる。
接続語 「疲れたので、動けない。」「買いたいが、金がない。」の「疲れたので」「買いたいが」のように、あとの部分との論理関係を示すものである。また、「今日は晴れた。だから、ピクニックに行こう。」「君は若い。なのに、なぜ絶望するのか。」における「だから」「なのに」のように、前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である。品詞分類では、常に接続語となる品詞を接続詞とする。
独立語 「はい、分かりました。」「姉さん、どこへ行くの。」「新鮮、それが命です。」の「はい」「姉さん」「新鮮」のように、他の部分にかかったり、他の部分を受けたりすることがないものである。かかり受けの観点から定義すると、結果的に、独立語には感動・呼びかけ・応答・提示などを表す語が該当することになる。品詞分類では、独立語としてのみ用いられる品詞を感動詞とする。名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる。
並立語 「ミカンとリンゴを買う。」「琵琶湖の冬は冷たく厳しい。」の「ミカンとリンゴを」や、「冷たく厳しい。」のように並立関係でまとまっている成分である。全体としての働きは、「ミカンとリンゴを」の場合は連用修飾部に相当し、「冷たく厳しい。」は述部に相当する。
現行の学校文法では、英語にあるような「目的語」「補語」などの成分はないとする。英語文法では "I read a book." の "a book" はSVO文型の一部をなす目的語であり、また、"I go to the library." の "the library" は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる。一方、日本語では、
私は本を読む。
私は図書館へ行く。
のように、「本を」「図書館へ」はどちらも「名詞+格助詞」で表現されるのであって、その限りでは区別がない。これらは、文の成分としてはいずれも「連用修飾語」とされる。ここから、学校文法に従えば、「私は本を読む。」は、「主語‐目的語‐動詞」(SOV)文型というよりは、「主語‐修飾語‐述語」文型であると解釈される。
対象語(補語) 鈴木重幸・鈴木康之らは、「連用修飾語」のうち、「目的語」に当たる語は、述語の表す動きや状態の成立に加わる対象を表す「対象語 object」であるとし、文の基本成分として認めている。(高橋太郎・鈴木泰・工藤真由美らは「対象語」と同じ文の成分を、主語・述語が表す事柄の組み立てを明示するために、その成り立ちに参加する物を補うという文中における機能の観点から、「補語」と呼んでいる。)
状況語 「明日、学校で運動会がある。」の「明日」「学校で」など、出来事や有様の成り立つ状況を述べるために時や場所、原因や目的(「雨だから」(「体力向上のために」など)を示す文の成分のことを「状況語」とも言う。(鈴木重幸『日本語文法・形態論』、高橋太郎他『日本語の文法』他)学校文法では「連用修飾語」に含んでいるが、(連用)修飾語が、述語の表す内的な属性を表すのに対して、状況語は外的状況を表す「とりまき」ないしは「額縁」の役目を果たしている。状況語は、出来事や有様を表す部分の前に置かれるのが普通であり、主語の前に置かれることもある。なお、「状況語」という用語はロシア語・スペイン語・中国語(中国語では「状語」と言う)などにもあるが、日本語の「状況語」と必ずしも概念が一致しているわけではなく、修飾語を含んだ概念である。
日本語では、修飾語はつねに被修飾語の前に位置する。「ぐんぐん進む」「白い雲」の「ぐんぐん」「白い」はそれぞれ「進む」「雲」の修飾語である。修飾語が長大になっても位置関係は同じで、たとえば、
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲(佐佐木信綱)
という短歌は、冒頭から「ひとひらの」までが「雲」にかかる長い修飾語であり、詩的効果を生んでいる。