日本航空123便墜落事故
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型式 747SRボーイング747SR-46型機

世界でも、日本の航空会社である日本航空と全日本空輸の2社のみがボーイング社に発注している747の特別仕様である(747SR-46の46は日本航空のボーイング社におけるカスタマーコードであり、また100型の場合通常百の桁は表記しない。全日本空輸のカスタマーコードは81である)。SRとは「Short Range(短距離)」の略で、国土の狭い日本の国内線を運航する航空会社が幹線及び準幹線に投入する目的に特化している(1990年にボーイング社は747在来型の受注を打ち切るが、この仕様は747-400Dとして受け継がれている。これも世界で日本航空と全日本空輸の2社のみがボーイング社に発注している特別仕様の747である)。

空港へ乗り入れる便数を少なくする代わりに、一度に輸送できる旅客数(最大で550人)を多くするため、従来の747ベースに1?2時間程度の短距離飛行用に設計された。短距離便ではあまり必要のない機内のラバトリー(トイレ)やギャレー(調理室)を減らして座席数を増やしている。また、国際線仕様の747では備え付けられている長距離飛行用の燃料タンクを搭載していない。その他に離着陸が頻繁であるため降着装置を強化、重量が重い状態で短い滑走路へ着陸する際にブレーキの摩擦熱で発火するのを防ぐため強力な冷却装置を取り付ける等の変更がなされている。

また、頻度の多い離着陸によって、国際線よりはるかに多い高度変化による気圧の変化で機体に負担がかかるため、金属疲労の進行を抑える加工も施されていたが、皮肉にもJA8119はボーイング社による隔壁の修理ミスと、検査での金属疲労の見落としによって墜落した。


事故の経過

本事故は、機体JA8119にとっては3度目の事故である。


墜落前の事故

1978年6月2日東京国際空港(羽田空港)から大阪国際空港へのフライトで着陸しようとした際、パイロット操縦桿の操作を誤ったため、機体が通常の着陸角度より上に上がりすぎ、滑走路に機体尾部を接触させるしりもち事故を起こし、機体尾部にある圧力隔壁を破損。機体のバウンドによりケガ人が3名発生。この事故での圧力隔壁のボーイング社における修理ミスが日本航空123便墜落事故の引き金になったとされている。

1982年8月19日、羽田空港から千歳空港へ飛行し着陸の際、機体が右に逸れ誤って第4エンジンを地上に接触させたため、機長着陸をやり直した。原因は天候による視界不良である。

なお、後者の事故によるエンジン損傷は事故調査報告書によれば、本墜落事故の直接の原因にはなっていない。


事故当日のJAL123便

当日の123便は18時00分羽田発、離陸後は南西に進んだ後、伊豆大島から西に巡航、串本上空で北西に進み、18時56分伊丹着のフライトプランであった。

フライトに使用されたJA8119は就航以来約18800回飛行し、当日は503・504便で羽田?千歳、363・366便で羽田?福岡を往復し、123便で5回目のフライト。伊丹到着後、130便として伊丹発羽田着の最終便を運航する予定であった。また、燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量を搭載していた。

乗務員は、高濱雅巳機長(49歳)[6]、佐々木祐副操縦士(39歳)、福田博航空機関士(46歳)の男性3人のコックピット・クルーと、波多野純チーフパーサー(39歳)を筆頭とする客室乗務員(女性11人)12人の計15人。乗客は509人。コックピットでは、機長昇格訓練を受けていた副操縦士が機長席に座り操縦、クルーへの指示を担当。機長は副操縦士席で副操縦士の指導、無線交信などの副操縦士の業務を担当していた。当日、航空機関士は363便と366便でJA8119に、副操縦士は別の機にそれぞれ乗務し、機長は当日最初のフライトであった。

18時04分に乗員乗客524人を乗せた123便は定刻をやや遅れて[7]羽田空港18番スポットを離れ、18時12分に当時の滑走路15から離陸した。搭乗方式はボーディングブリッジではなく、搭乗待合室から地上に降りて徒歩でタラップを昇る搭乗であった。


異常事態発生

18時24分(離陸から12分後)、相模湾上空を巡航高度の24000ft(7200m)へ向け上昇中、23900ftを通過したところで異常事態が発生する。突然の衝撃音と共に123便の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、その際ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまう[8]。フゴイドやダッチロール[9]を起こした機体は迷走するとともに上昇、降下を繰り返すものの、クルーの操縦により17分間は20000ft(6000m)以上で飛行を続ける。18時40分頃、空気抵抗を利用する降下手段としてランディング・ギア(降着装置)を降ろした後、富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、高度22000ftから6000ftへと一気に15400ft(4600m)も降下する。その後、機体は羽田方面に向かうものの埼玉県上空で左へ旋回、群馬県南西部の山岳地帯へと向かい出す。


キャビン内の状況

機内では衝撃音が響いた直後に、各座席に酸素マスクが落下し、プリレコーデット・アナウンス[10]が流れた。乗客は客室乗務員の指示に従って酸素マスクを着用したほか、シートベルトを着用し、タバコを消すなど非常時の対応を行う。また一部座席では着水に備え、救命胴衣の着用なども行われた。男性チーフパーサーは全客室乗務員に対し、機内アナウンスで酸素ボトルの用意を指示している。なお、生存者の証言によれば、機内は異常発生直後から墜落までさほど混乱に陥ることはなく、全員落ち着いて行動していたという。その後、乗客は衝撃に備えるいわゆる「安全姿勢(前席に両手を重ね合わせて頭部を抱え込むようにし、全身を緊張させる)」をとって、衝撃に備えた。乗客の中には最期を覚悟し、不安定な機体の中で懸命に家族への遺書を書き残した者が複数いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki