全民労協・全民労連(旧・連合)時代から、連合系労組幹部は、日本社会党と民社党の合同を念頭に、「社民勢力の結集」を唱え、その「接着剤」となることを標榜していた。1989年に行われた第15回参議院議員通常選挙において、連合の会で11名の当選者を出し、労組間の路線対立を乗り越えた勢力結集に尽力する。しかし、1992年の第16回参議院議員通常選挙で連合の会公認候補は全員落選。連合の会は1993年には「民主改革連合」に改称し、細川内閣へ連立参加した。
一方、伝統的に社会党を支持してきた旧総評系労組と民社党を支持してきた旧同盟系労組は、連合結成後もそれぞれ総評センターと友愛会議での政治活動を継続した。しかし、まず、1993年の第40回衆議院議員総選挙で社会党が大きく後退。結果として非自民の細川内閣ができたものの、社会党の威信は大きく低下し、その後連立の組み換えで自民党と組むなどしてしばらく与党に居続けた。旧総評系労組も、自社連立に不満を抱えながらも、社会党への支援を継続した。
その一方、民社党は細川内閣・羽田内閣に参画した後、新生党や公明党などと合併して1994年末に新進党を結成、自社連立政権に対する野党第一党となり、友愛会議系は新進党支援を打ち出した。そのため、連合は政治的スタンスを巡り旧総評系と旧同盟系の間で分裂し、「股裂き」状態になったと評された。 1996年の第41回衆議院議員総選挙を前に、民主党が結成されると、旧総評系労組の多くは社民党(社会党が1996年1月に改称)から民主党へ軸足を移した。
1997年末の新進党分党後、1998年の参議院選挙を前に、旧小沢系(自由党を結成)以外の主な旧新進党会派と民主党が大同団結する形で新しい民主党が結成された。新党友愛として活動していた旧民社系もこの新・民主党に参加、友愛会議系労組もこれを支援した。旧総評系労組も、連合の「股裂き」を解消するものとして、この動きを歓迎した。そのため、紆余曲折はあったものの、連合内は現在までに民主党支持で大勢が決する形になった。旧総評系・旧同盟系が別々に継続させてきた政治活動・選挙活動についても、1999年の連合政治センター結成により一応統合された。
連合は民主党の最大の支持基盤とされる。ただ、依然として連合は社民党とも協力関係を保ち、社民党への支持・協力を続ける加盟団体(全日本自治団体労働組合、日本教職員組合といった主に旧総評系の一部地方組織)もある。連合の大会や、連合主催の大きな集会(メーデーなど)には、民主党・社民党だけでなく、自民党や公明党など与党からの来賓出席や祝電の披露がある。
国政選挙や地方選挙では連合統一候補として民主党候補が社民党の推薦を受けたり、逆に社民党候補が民主党の推薦を受ける場合もある。県議会によっては、大分県議会のような民主党と社民党で連合を軸とした統一会派を組んでいる。連合組織内議員懇談会では民主、社民の国会議員(地方では地方議会議員)が出席し、社民党勢力が強い地方ではその会長が社民党県議の場合もある。
2005年9月の第44回衆議院議員総選挙後、民主党代表に就任した前原誠司は、労働組合(連合)、特に官公労との関係を見直し、距離をとるという姿勢を繰り返し示して、連合側が反発した。これには、大阪市の職員厚遇問題などでのイメージ悪化、組織率低下による影響力の低下などで国民からの批判を浴びた連合を抑え、「政策立案を独自に行い政権を担える自立政党」への脱皮を図ろうとする前原執行部の理想と、実際の選挙では自分達が最大の支持組織として活動していると自負する連合側の現実との齟齬による対立があった。また、連合系の民主党議員・一般党員の多くが、前原が唱える日本国憲法の改憲路線、特に自衛隊海外派遣の積極推進や中国脅威論の高唱などの外交・安全保障政策に反発し、さらには「対案路線」を採る前原執行部の主張が小泉純一郎内閣の自由競争主義に接近し、小泉から称賛されて大連立まで噂される事態となると、改憲論議自体には柔軟な連合首脳陣まで前原に反発するという疑心暗鬼も重なり、両者の関係は冷え込んだ。
しかし、2006年に前原が任期途中で辞任すると、4月に就任した新代表の小沢一郎は連合との関係修復に腐心した。小沢は元来自民党の実力者で、前原以上に連合との関係は薄かったが、悲願の政権奪取のためには企業団体との関係強化に加えて連合との和解も必要と判断し、融和策を採った。一方、小沢を警戒していた連合側も、小沢の主張に労働者保護などの要素が強まったのを見て支持を強め、民主党との関係も改善されている。第21回参議院議員通常選挙があった2007年には木会長と小沢が一緒に激戦県を行脚するなど、幹部間の関係が緊密になっている。
組合歌
連合歌 作詞:下村勝俊、作曲:宮川泰
2005年10月6日、第9回定期大会で会長選挙があり、前会長が推すUIゼンセン同盟の高木剛と全国ユニオンの鴨桃代が争い、323対107、無効票42で高木が勝ち、新会長となった。ただし、組合員数がUIゼンセン同盟の約0.4%しかない全国ユニオンからの立候補で知名度も無く、労使協調路線を流用する経営側との対決路線の明示や労働者の基本権利を侵害すらする御用組合への批判など左派色の強い主張を唱えた鴨が高木の得票数の約3分の1となった投票結果は、その不意の立候補以上に波紋を投げかけた。これは、全国ユニオンへの加盟母体である非正規雇用労働者の待遇悪化、及びその多くが大規模組合に加盟する正社員(正規雇用)との「労働者格差」の存在を各労働組合が実感し、現場の声は連合に問題解決への対応を迫っているというメッセージとなった。高木は任期の2年の間に19%にまで低下している組織率を20%に向上させ、非正規雇用者への加盟働きかけを強化するとともに、格差社会是正の一つとしてパートタイム労働法の改正を運動方針の一つに掲げた。
2007年10月11日?12日の二日間、第10回定期大会を開いた。高木剛会長は挨拶の中で、非正規雇用問題に真っ正面から取り組み、政府に基本政策転換を迫り、労働三法のうちの最低賃金法と労働契約法は修正・加筆した上で成立を求め、労働基準改正法案については、最低賃金法の修正動向を見ながら対応すること述べた。