日本の首都
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辞典による日本の首都

平安遷都など歴代の遷都をそのまま首都の移動とするもの[2]

明治2年に東京城(江戸城)が皇城とされ太政官が東京に移されたことと、明治4年府県の順序で東京が第一とされたことで東京が首都の地位を得たとするもの[3]


天皇・都に注目したもの

京都も東京も帝都だが、本来首都は京都であり、東京は施政の便宜上天皇がいる場所だというもの[4]

東西の帝都である東京と京都が並立して首都とするもの[5]

江戸時代の首都は将軍の任命が行なわれた京都であり、幕府があった鎌倉・江戸は首都ではなかったとするもの[6]

首都移転は皇室の座所の移動(御動座)を伴うものだとするもの(1996年の橋本龍太郎内閣総理大臣の国会答弁[7])。


首都機能・武家政権に注目したもの

平氏政権による福原京の計画が平安京との複都構想だったとし、また鎌倉幕府の置かれた鎌倉が、京都と首都機能を分担した事実上の複都制であるとするもの[8]

江戸は政府の所在地で首都と意識されていたが、幕末に政治の中心となった京都が首都となり、更にそれが東京に移ったとするもの[9]

江戸時代に江戸は政治・行政の中心と認識され、首都として機能もし、外国人も江戸を首都と認識していたとするもの。1719年の朝鮮通信使申維翰の『海遊録』によれば、都(首都)は初め大和にあり、その後豊臣秀吉大坂に、徳川家康が江戸に移したと認識されていたという[10]


法的根拠

2008年(平成20年)現在、日本の首都を直接定める現行法令は存在しない。そこで、旧法、現行法及び慣習法の読み方によって、東京(東京都)を唯一の首都と解さない論者もいる。論争に登場する主要な立法およびその解釈について列記する。
1868年明治元年)、天皇が京都から東京へ行幸するに際して発せられた江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書には、「首都」の語はない。首都を意味する「」を地名に付したことから、この詔書によって、東京を首都に定めたと見るのが有力だが、反論もある。この詔書の趣旨について、東京を京都と並び首都とすること(複都論)を定めたに過ぎないと解する立場[11]がある。

江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(明治元年7月17日)
朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東國第一ノ大鎭四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ稱シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ體セヨ

1923年(大正12年)に発せられた関東大震災直後ノ詔書(大正12年9月12日)では、東京がすでに首都であることを既定のこととして記載された文言が出てくる。

関東大震災直後ノ詔書(大正12年9月12日)
…抑モ東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ国民文化ノ源泉トナリテ民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ一朝不慮ノ災害ニ罹リテ今ヤ其ノ旧形ヲ留メスト雖依然トシテ我国都タル地位ヲ失ハス是ヲ以テ其ノ善後策ハ独リ旧態ヲ回復スルニ止マラス進ンテ将来ノ発展ヲ図リ以テ巷衢ノ面目ヲ新ニセサルヘカラス…

1943年(昭和18年)に制定された東京都制(昭和18年法律第89号)では、「効率的な首都行政を行うことを目的とする」と、立法段階で説明されている。ただし、地方自治法において、「都」制度が道府県制度と並び規定されているが、都制度の適用があるのは、現在の東京都を区域とする地方自治体に限定されるとは規定されず、また、いわゆる首都の所在地の自治体に適用されるという規定もなく、例えば「大阪都」もあり得るとされている。

1950年(昭和25年)には、東京都を日本の新しい首都とすることが明確に定められた首都建設法が制定された。ただし、のちに廃止されている。同法は、当時数多く制定された特別都市建設法の一つである。

首都建設法(昭和25年法律第219号)
第一条 この法律は、東京都を新しく我が平和国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るよう計画し、建設することを目的とする。

のちに、首都建設法は法律の目的を首都圏整備法に受け継がれたため廃止されている。首都圏整備法では、整備の対象を東京から東京周辺の地域を含む首都圏に広げた。

首都圏整備法
(定義)第二条 この法律で「首都圏」とは、東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域をいう。附則(首都建設法の廃止)4 首都建設法(昭和二十五年法律第二百十九号)は、廃止する。



皇居の所在地(=首都とする説)の変遷

歴史上、日本の首都は、天皇の住まいである皇居の所在によって定められた。古墳時代以降は、皇居のための宮殿御所)建設と周辺の市街地整備を一体として行い、首都にふさわしい都市を計画的に建設するようになった。

宮殿や貴族の邸宅であっても、奈良時代までは基本的に掘立柱建築だったため、建物の耐用年数が短かかった。同じ掘立柱建築である伊勢神宮遷宮は20年に1回である。

古代の頻繁な遷都や宮殿の移転・新築は、政治的な思惑の他にも建築物の耐用年数の影響が考えられる。中国風の都市計画を持ち込んだ藤原京平城京平安京などでは、計画的な庶民の居住を促しても、家が掘立柱建築だったために、地下水位の高い低湿地や河川の氾濫原は居住に適さないとして放棄され、いずれも当初の計画とは異なる都市へと変化した。

飛鳥宮(飛鳥時代)以前に、首都に相当する都城は存在しない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki