旗人
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八旗の編成

八旗制による基本的な編成形体は、有事の際に兵士となる成年男子300人をニル(「矢」の意)とし、5ニルをジャラン(1500人)とし、5ジャランをグサ(25ニル、7500人)とするものである。各グサは、それぞれ固有の旗を持って識別されたので、グサのことを中国語では「旗」と呼ぶようになった。

新たに「満州」という民族名で呼ばれるようになった女直人は、みな8個のグサ(旗)のうちいずれかの旗に所属させられたので、八旗は軍事組織であると同時に社会組織・行政組織であった。

各ニルにはニル・エジェン(佐領)、各ジャランにはジャラン・エジェン(参領)、各グサにはグサ・エジェン(都統)が任命され、統括された。各グサにはさらにその上に、清朝の皇族である愛新覚羅氏の王が置かれ、ベイレ(貝勒)と呼ばれた。皇帝自身は正黄旗・?黄旗・正白旗3旗の王で、八旗による社会組織は、皇帝の領する3旗(上三旗)と諸王の領するその他の5旗(下五旗)による部族連合国家という側面もある。


各八旗の概要正黄旗

正黄旗 : 上三旗に列する。
【清末期の管轄兵力】:92個佐領、2個半分佐領、約3万の兵(八旗満州中で最多人口)【総人口】:約15万人【有名な出身者】:納蘭性徳(康熙帝の寵臣)、索尼(重臣)?黄旗

?黄旗 : 上三旗に列する。
【駐屯地域】:今の内蒙古錫林郭勒盟の西南部【清末期の管轄兵力】:84個佐領、2個半分佐領、約2万6千の兵【総人口】:約13万人【有名な出身者】:孝和睿(嘉慶帝の皇后)、慈安正紅旗

正紅旗 : 下五旗に列する。
【駐屯地域】:今の内蒙古烏蘭察布市の東部【清末期の管轄兵力】:74個佐領、兵2万3千【総人口】:約11万5千人【有名な出身者】:和シン乾隆帝の奸臣)?紅旗

?紅旗 : 下五旗に列する。
【駐屯地域】:今の内蒙古烏蘭察布市の東部【清末期の管轄兵力】:86個佐領、兵2万6千【総人口】:約13万人【有名な出身者】:珍妃光緒帝の寵妃)正白旗

正白旗 : 上三旗に列する。
(当初下五旗だったが、順治帝の初め、多爾袞が自分の所領の正白旗を上三旗に編入)【駐屯地域】:今の内蒙古錫林郭勒盟の南部【清末期の管轄兵力】:86個佐領、約2万6千の兵【総人口】:約13万人【有名な出身者】:婉容栄禄?白旗

?白旗 : 下五旗に列する。
【駐屯地域】:今の内蒙古錫林郭勒盟の南部【清末期の管轄兵力】:84個佐領、約2万6千の兵【総人口】:約13万人【有名な出身者】:曹雪芹阿桂善耆粛親王正藍旗

正藍旗 : 下五旗に列する。
(当初上三旗だったが、正白旗の上三旗編入に伴い下五旗に降格)【駐屯地域】:今の内蒙古錫林郭勒盟の南部【清末期の管轄兵力】:83個佐領、11個半分佐領、兵2万6千【総人口】:約13万人【有名な出身者】:崇綺(1864年の状元。戸部尚書。同治帝の皇后阿魯?氏の父)?藍旗

?藍旗 : 下五旗に列する。
【駐屯地域】:今の内蒙古烏蘭察布市の東部【清末期の管轄兵力】:87個佐領、1個半分佐領、兵2万7千【総人口】:約13万5千人【有名な出身者】:侯宝林(演芸芸術家)、慈禧咸豊帝の皇貴妃)、粛順辛酉政変で処刑された戸部尚書)


北京八旗

北京八旗は、清が長城以南に入関した後、首都となった北京を警備するために北京城に移住させた八旗のことで、清朝皇帝の近衛兵である。

順治帝時代、北京八旗には、驍騎営、前鋒営、護軍営、歩兵営が設けられ、各々驍騎(馬甲、馬兵とも称する)、前鋒、護軍、親軍及び歩兵を統括した。その後、火器営、健鋭営、内府三旗護軍営、前鋒営、驍騎営、円明園八旗護軍営、三旗虎槍営等も設置された。

前鋒、護軍、驍騎、親軍、歩兵は、八旗佐領の下から選抜され、人数は、時代によって変化している。乾隆帝時代、驍騎3万4千、護軍1万5千、前鋒1,700、歩軍2万1千、親軍1,700、健鋭兵2千、火器営兵6千、虎槍営兵600、及び藤牌兵等、計約9万人がいた。

この外、領侍衛府が設置され、領侍衛年大臣6人、内大臣6人が置かれ、上三旗の一等、二等、三等満州蒙古侍衛570人、藍?侍衛90人、四等待衛、御前侍工、乾清門侍衛、漢侍衛若干名、計1,800人余りを管轄した。紫禁城の警備に関しては、領侍衛府の責任が最も重く、地位も最高で、宮殿の宿衛と巡幸等の諸事を総括した。紫禁城内の各門、各宮殿には、領侍衛内大臣が侍衛、親軍、上三旗、内府三旗前鋒、護軍、驍騎宿衛を派遣した。

紫禁城外の周囲は、下五旗護軍が守衛した。紫禁城外から皇城以内は、満州八旗歩軍が守衛し、皇城外から大城以内は、満州、蒙古、漢軍八旗歩軍が守衛した。大城外は、五城巡捕営からの1万の緑営兵が守衛、巡邏した。


駐防八旗

駐防八旗は、清の入関後、各地の反清運動を鎮圧し、統制を強化するために派遣された八旗である。駐防八旗は、畿輔駐防、東三省駐防、各省駐防、新疆駐防の4系統に分けることができる。

畿輔駐防は、直隷駐防とも称され、乾隆帝後期、良郷、昌平、水平、保定等25ヶ所に8千人が駐屯した。

東三省駐防は、盛京、吉林、黒龍江駐防に分かれる。盛京駐防は、盛京将軍が統括し、盛京、遼陽、開原等40ヶ所に1万6千人が駐屯した。吉林駐防は、吉林将軍が統括し、兵力は9千人だった。黒龍江駐防の八旗兵とソロン(索倫)族兵7千人は、黒龍江将軍が統括した。

各省駐防は、山東、山西、河南、江蘇、浙江、四川、福建、広東、湖北、陝西、甘粛等11省の20都市に駐屯し、乾隆帝後期、計4万5千人に達した。各省駐防は、各都市に設けられた将軍又は副都統が管轄し、各省駐防の兵数は300?3,000人程度だった。

新疆駐防は、西域兵とも称され、ジュンガル部、ウイグル部の征服後に設置された。兵数は1万5千人で、伊犁将軍が統括した。


関連項目

猛安・謀克

千戸制

旗 (行政単位)

近衛兵

八旗通志
カテゴリ: 清朝の軍事 | 中国の制度史 | 名数8

更新日時:2008年8月29日(金)13:33
取得日時:2008/09/02 05:16


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen