北京八旗は、清が長城以南に入関した後、首都となった北京を警備するために北京城に移住させた八旗のことで、清朝皇帝の近衛兵である。
順治帝時代、北京八旗には、驍騎営、前鋒営、護軍営、歩兵営が設けられ、各々驍騎(馬甲、馬兵とも称する)、前鋒、護軍、親軍及び歩兵を統括した。その後、火器営、健鋭営、内府三旗護軍営、前鋒営、驍騎営、円明園八旗護軍営、三旗虎槍営等も設置された。
前鋒、護軍、驍騎、親軍、歩兵は、八旗佐領の下から選抜され、人数は、時代によって変化している。乾隆帝時代、驍騎3万4千、護軍1万5千、前鋒1,700、歩軍2万1千、親軍1,700、健鋭兵2千、火器営兵6千、虎槍営兵600、及び藤牌兵等、計約9万人がいた。
この外、領侍衛府が設置され、領侍衛年大臣6人、内大臣6人が置かれ、上三旗の一等、二等、三等満州蒙古侍衛570人、藍?侍衛90人、四等待衛、御前侍工、乾清門侍衛、漢侍衛若干名、計1,800人余りを管轄した。紫禁城の警備に関しては、領侍衛府の責任が最も重く、地位も最高で、宮殿の宿衛と巡幸等の諸事を総括した。紫禁城内の各門、各宮殿には、領侍衛内大臣が侍衛、親軍、上三旗、内府三旗前鋒、護軍、驍騎宿衛を派遣した。
紫禁城外の周囲は、下五旗護軍が守衛した。紫禁城外から皇城以内は、満州八旗歩軍が守衛し、皇城外から大城以内は、満州、蒙古、漢軍八旗歩軍が守衛した。大城外は、五城巡捕営からの1万の緑営兵が守衛、巡邏した。
駐防八旗は、清の入関後、各地の反清運動を鎮圧し、統制を強化するために派遣された八旗である。駐防八旗は、畿輔駐防、東三省駐防、各省駐防、新疆駐防の4系統に分けることができる。
畿輔駐防は、直隷駐防とも称され、乾隆帝後期、良郷、昌平、水平、保定等25ヶ所に8千人が駐屯した。
東三省駐防は、盛京、吉林、黒龍江駐防に分かれる。盛京駐防は、盛京将軍が統括し、盛京、遼陽、開原等40ヶ所に1万6千人が駐屯した。吉林駐防は、吉林将軍が統括し、兵力は9千人だった。黒龍江駐防の八旗兵とソロン(索倫)族兵7千人は、黒龍江将軍が統括した。
各省駐防は、山東、山西、河南、江蘇、浙江、四川、福建、広東、湖北、陝西、甘粛等11省の20都市に駐屯し、乾隆帝後期、計4万5千人に達した。各省駐防は、各都市に設けられた将軍又は副都統が管轄し、各省駐防の兵数は300?3,000人程度だった。
新疆駐防は、西域兵とも称され、ジュンガル部、ウイグル部の征服後に設置された。兵数は1万5千人で、伊犁将軍が統括した。
関連項目
猛安・謀克
千戸制
旗 (行政単位)
近衛兵
八旗通志
カテゴリ: 清朝の軍事 | 中国の制度史 | 名数8
更新日時:2008年9月9日(火)19:31
取得日時:2008/09/28 20:06