伝統的には、テュルク系民族が多いことからペルシア語で「テュルク人の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきた。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いた。13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われた。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服された。
18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。
辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦後の1949年に再び中国の支配下におかされ、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡した。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。
文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られたが、1989年の天安門事件以降、こうした動きは当局の厳しい取り締まりの対象とされている。
詳細は東トルキスタン独立運動を参照
中国政府による取り締まりに対し、新疆における民族自治の拡大や人権状況の改善を目指す運動が中国内外で続いている。一部の運動組織は、新疆の中国からの分離独立を主張しており、新疆はチベットと並んで、中国の抱える民族問題のホットスポットの一つとなっている。911同時多発テロ事件以降は中国当局の治安体制強化もあって、中国国内では目立った騒擾事件は発生していないが、信頼できる情報源が少ないため、新疆の実情は必ずしも明らかになっているとはいえない。国外の民族運動組織は、中国政府による人権侵害事案をたびたび取り上げている。 東トルキスタンイスラム運動などといった組織が独立運動を唱えている(詳細はリンク先を参照)。
地理
東トルキスタンの地理も参照。
新疆ウイグル自治区の面積165万km?は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める。(日本の約4.5倍)ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族である。省都は烏魯木斉(ウルムチ)。
新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置しており、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省、青海省、西蔵自治区と省界を接している。また、インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシア連邦、モンゴル国の8カ国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに達する。国境を接する国の数は、中国の行政区分で最大である。
1931年8月11日、新疆ウイグル自治区北部でM8の地震が発生。地震研究のための貴重な資料として、当時の地震断層や地形の変化がそのままの状態で残されている。2007年4月19日、断層の保護作業が終了した。
また、中国国内の核実験の大半は新疆ウイグル自治区にて行われており、自治区内のロプノール核実験場の付近では、住民の健康状態や、農作物への被害が懸念されている。
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地級市(地区クラスの市)
ウルムチ市(烏魯木斉市) - 省都
カラマイ市(克拉瑪依市)
地区
トゥルファン地区(吐魯番地区) - 主要都市:トゥルファン市(吐魯番市)
クムル地区(哈密地区) - 主要都市:クムル市(哈密市)
アクス地区(阿克蘇地区) - 首府:アクス市(阿克蘇市)
カシュガル地区(喀什地区) - 主要都市:カシュガル市(喀什市)、ヤルカンド県(莎車県)