新春かくし芸大会
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1990年代

1990年 「一月一日」のアレンジが宮川泰編曲によるものから、たかしまあきひこ編曲による現在のものに変更。

1991年 芳村真理・逸見政孝の「2人総合司会」コンビから井上順堺正章の「両軍キャプテン=司会」のコンビに司会者が交代。

1994年 番組タイトルが現在の「新春かくし芸大会」に改題し、また放送枠が3時間半に縮小(〜1996年)。審査員が5人から10人に増えたが、1996年以降は再び5人に戻す。また、この回だけ番組対抗かくし芸を実施。当時の「上岡龍太郎にはダマされないぞ」「クイズ!年の差なんて」「夢がMORIMORI」「平成教育委員会」にドラマ4番組を加えた8番組が参加、1対決だけのラジオドラマ対決も珍しかった。

1996年 1965年以来31年ぶりの生放送だったが、オープニングの演目以外はすべて事前収録のVTRであった。翌年以降は番組全体が再びVTR放送に変更された。この回は両軍キャプテンを置かず、両軍進行役に女子アナウンサー2名を起用。この回をもって33年間使われた河田町放送センター・第6スタジオでの放送が幕を閉じた。また、審査員席の最右に座った露木アナがこの回を最後に降板。

1997年 フジテレビ社屋が河田町からお台場に移転し、スタジオもV4スタジオになり、放送時間が4時間に拡大されたが、対戦数が9対戦から7対戦に縮小された。また総合司会に中居正広、両軍キャプテンに香取慎吾草?剛といったSMAP3人を起用、またSMAPが「オープニング演目」として2年ぶりにかくし芸に出演した(〜1999年まで)。

またこの回だけ「最優秀演目賞」「最優秀個人賞」「審査員特別賞」があった。

この回はまだ河田町旧放送センターからの送信だった(お台場現社屋での送信は3月10日から)。


1998年 審査員個人別採点の公表を廃止(これは他は10点で1人だけ9点などの点数を付けると、演技者や応援者からその審査員に強く文句を言っていた事が多かった為と思われる)。また、タイトルも「かくし芸」の部分を公募による題字で表現した。

この回はSPEEDMAX山瀬まみなど女性メンバーをメインとした演目をする紅組と堺正章中山秀征小堺一機田代まさしなど男性メンバーをメインとした演目をする白組の対戦形式だった。

この回からお台場現社屋からの送信になった。


1999年 対戦形式がアダルトチーム-ヤングチームに変更。史上初、1演目を除き満点を出した。ヤングチームの最終演目「中国ゴマ」でネプチューン安達祐実知念里奈と共に出演する予定だった広末涼子が早大合格に伴い番組スタッフが「早大生に専念する」と判断したため、代打としてナインティナインの岡村隆史を起用した(この模様は6日前の1998年12月26日に「めちゃ×2イケてるッ!スペシャル」で放送された)。

この回から3時間放送となり、2002年(第39回・7対戦)と2003年(第40回・6対戦)を除いて対戦数を5対戦に縮小(因みにこの回は得点を付けなかった番外2演目があった。それはアダルトチームにビートたけしが、ヤングチームにダウンタウン松本人志が登場して面白おかしく演じたものであった事からである)。


2000年代

2000年 ジャニーズ事務所のタレントが出演しなくなり、ビートたけしもこの年から降板した。また、この年から植木等が司会者から『審査員長』と呼ばれる様になった。また、審査員である家田荘子司葉子木村大作山本寛斎が辛口批評になったが演技をバカにしたりケチをつけたりする「バカケチ審査」になり、のちの視聴者離れの原因になった。

2001年 両チームへの応援合戦が始まる。しかし、視聴率はTBSの「スポーツマンNo.1決定戦」に追い抜かれてしまった。審査員も前年同様になりほぼ同メンバー(司葉子から森光子に変更された)となり審査に納得のいかなかったマルシアが途中退場する事態になったことで審査員だった家田・木村・山本の3名が降板、また水口昌彦の翌年の人事異動に繋がる原因になった。さらに五輪などで活躍したスポーツ選手を審査員にしてほしかったとの意見もあった。

2002年 13.4%の歴代最低視聴率(当時)を更新(この回は1月2日19:00〜21:54)。この時間帯の最高は日本テレビの「ものまねバトル」で、視聴率は1.1%高い14.5%だった。

アダルトチームなのに若手芸人及び若手タレントがいたという視聴者の意見があったためか、ヤングVSアダルト形式はわずか4回で打ち切られた。また、演目にマルシアと出演予定だった田代まさしが前年12月に不祥事で逮捕されたのを受けて、急遽田代の出演部分をカットし、その旨のテロップを出演予定だった演目が始まる時に出して放送された。再放送では本放送の際小さく映っていた田代の頭部のみをデジタル処理により消去、あるいは白く塗りつぶすぼかし等の処理がなされた。また演目開始時のテロップは表示されなかった。

2000年〜2001年に審査員を務めた木村大作が演技者に移行したにも関わらず、自分のいるチームの演目だけではなく相手のチームの演目まで批評した。またEDでは植木等から最終決戦前までの演目は不評だったとのコメントを食らった。それが原因かプロデューサーだった水口昌彦は編成へ異動に伴い、2006年までしばらくの間番組スタッフから外された。また、木村氏もそれ以後のフジテレビの番組に出演しなくなったといわれている。また、この年はハロプロ関連のメンバーは安倍なつみが14時〜24時にテレビ東京の「壬生義士伝」、安倍を含むモーニング娘。が21時〜23時30分にTBS系の「新春LOVEストーリーズ」といった裏番組にそれぞれ出演したために、この回は出演できなかった。


2003年 プロデューサー変更に伴い司会にみのもんたを起用し、同時に審査員陣の一新、対戦形式も再び東軍-西軍にまた番組タイトルロゴが現在のもの(赤い丸玉の文字の中に『新春』。但し2004年は除く)に変更された。2001年以来OP演目を再導入するも不評だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki