新宿西口バス放火事件
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事件後

犠牲者の中には、後楽園球場読売ジャイアンツヤクルトスワローズの試合を観戦した帰りの父親(40歳)と息子(10歳)もいた。この事件を聞いた後楽園球場と巨人軍が告別式に花を贈ったことや、王貞治が祭壇にサインボールを供えた(球団関係者を通じて送られた)ことが全国に伝えられた。

刑事裁判において検察側は犯人に死刑を求刑したが、東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護側・検察側の双方が控訴したが、東京高等裁判所も一審判決を支持した。

弁護人安田好弘。事件を知った安田は 被告に自分を弁護人として選任するよう持ちかけた。死刑を望んでいた被告は断るも、被告の兄に選任され弁護人となり、無期懲役を勝ち取った[要出典]。しかし、犯人は無期懲役になったことに対し良心の呵責に苛まれることとなり、1997年10月千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

現場となった新宿西口20番線は現在でも、京王バス中野車庫行きや中野駅行きが使用している。


手記・映画

この事件の被害者の1人、杉原美津子は事件後「生きてみたい、もう一度」という手記を出版した。これはベストセラーとなり、「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」のタイトルで映画化された。彼女は事件時、異性関係の悩みから自殺願望を抱いており、放火された際に逃げるのを躊躇したため全身80%火傷の重傷を負ったが、回復した。彼女は自らの希望で被告人に接見している。「もう一度やりなおして欲しい」とのことだが、通常は被害者は被告人と接見することはできないが、この時は例外的に認められた(なお、現在は場合により更生プログラムとして面会できる場合がある)。

更に、彼女の兄がバスが放火された時に偶然そばを通りかかった。兄の職業はカメラマンで、本能的に燃え広がるバスを撮影し、その写真は翌日の新聞にスクープとして大々的に報道された。だが、実の妹がその事件で重傷を負ったことを知った彼は、そのショックでカメラマンを廃業している。


同類の事件

深川通り魔殺人事件1981年6月17日

池袋通り魔殺人事件1999年9月8日

下関通り魔殺人事件(1999年9月29日

附属池田小事件2001年6月8日

大邱地下鉄放火事件2003年2月18日韓国大邱広域市

秋葉原通り魔事件2008年6月8日


外部リンク

新宿西口バス放火事件

この「新宿西口バス放火事件」は、日本の歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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更新日時:2008年8月18日(月)15:39
取得日時:2008/08/19 21:51


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki