斎藤佑樹
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2006年春の選抜に出場。2回戦で関西高引き分け再試合の末勝利を収めるも、準々決勝では横浜高に打ち込まれて敗退した。決勝再試合のスコアボード

同年、3年夏の西東京大会では、決勝で三たび日大三高と対戦。延長戦の末サヨナラ勝ちを収め、夏の甲子園大会出場を決めた。甲子園では、準決勝までの5試合全てに先発して相手を2点以内に抑え、さらに3回戦では本塁打を放つなどして、早稲田実業の1980年以来26年ぶりとなる夏の決勝進出に貢献。夏の大会3連覇を目指す駒大苫小牧高・田中将大との投手戦になった決勝戦は、延長15回でも決着がつかず、1969年夏松山商高三沢高戦以来37年振りの決勝引き分け再試合となった。翌日の再試合でも斎藤は自ら先発を志願、最後は田中を三振に打ち取って接戦を制し、早稲田実業を初めて夏の甲子園優勝に導いた。

この決勝戦はNHKで視聴率29.1%、決勝再試合も平日の日中にもかかわらず23.8%と高視聴率を記録。斎藤の延長になっても衰えない球速や落ち着いた様子は注目を集め、優勝後のインタビューで家族や野球部員への感謝の気持ちを素直に表した誠実さもあって、マスコミに取り上げられることが多くなった。なお、大会での登板回数69イニング[1]、投球数948球はどちらも一大会における記録としては史上1位。一大会における奪三振78個は、1958年の徳島商高板東英二の83個に次いで歴代2位。

同年9月11日、自身の進路について記者会見を開き、大学進学を表明。「自分は人間としても野球選手としても未熟。大学に進んで成長したい」と語る一方、日米親善高校野球でアメリカ遠征している間に気持ちが揺れたことも明かした。会見には150人以上の報道陣が集まり、テレビで生中継もされたが、会見終了後に斎藤が自分の椅子だけでなく、校長・監督ら同席者全員の椅子も直したところが礼儀正しいと評価された。

のじぎく兵庫国体では、試合前から斎藤の出場に関する問い合わせが野球会場がある高砂市に殺到[2]。早稲田実業の試合には連日観戦客の徹夜組も登場するなど試合前日から長蛇の列ができた。試合当日も観客が殺到し多くの警備員による厳戒態勢のもと、異例の入場整理券が発行され入場制限が行われるなど国体史上稀にみる盛り上がりを見せた。決勝戦は夏の甲子園大会決勝戦を再現する早稲田実業対駒大苫小牧の試合となり、斎藤は再び優勝投手となった。


早稲田大学時代

2007年早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に入学。東京六大学野球春季リーグの開幕戦(東大戦)で、1年生としては1927年慶大宮武三郎以来80年ぶりとなる開幕投手での勝利を収めた。さらに、應武篤良監督の厚い信頼を得て、應武がこのシーズンで重視していた2戦目の先発を多く(法大戦・明大戦・早慶戦)任されている。「中学生の時から憧れていた」という早慶戦の第2戦で勝利投手となる。この試合で早大は2季連続リーグ優勝を達成。1年生ながら胴上げをされ「中学生の頃からあこがれていた早慶戦で投げて優勝を決めるということはとても嬉しい」と語った。また優勝パレード後の優勝報告会では「自分がいる4年間で再び早稲田の黄金時代を切り開きたいと思っています。わが早稲田大学野球部は一生勝ち続けます」と声も高らかに宣言した。2007年春季リーグ戦での成績は4勝(リーグ1位タイ)0敗、防御率1.65(同3位)。他にプロ野球ならセーブが付く場面での交代完了が2試合あり(東京六大学リーグにはセーブの制度はない)、チームの10勝中6勝に関与、秋春連続優勝に貢献した。1年生投手としては史上初めて、春季リーグ戦のベストナインに選出された。また東京六大学野球連盟がインターネット上で実施したファン投票によるMVPにも2位を大きく引き離す2,463票を集めて選出された。

同年6月、第56回全日本大学野球選手権大会では2回戦・準決勝・決勝の3試合に登板。準決勝・決勝では2日連続して先発を務め、それぞれ1失点で後続につないで2勝を記録、チーム33年ぶりの選手権制覇に貢献し大会最高殊勲選手に選ばれた。

同年7月、米国で開催される第36回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された。代表監督を務める河原井正雄青山学院大監督は「(不敗神話に賭けるというより)勝ってもらわないと困る」「空振りを取れる球を持っている選手を選んだ。順番的にはトップクラスでの当選。(斎藤を)先発で行こうという気はある」などと語り、期待を寄せた。代表チームでの背番号は「20」。第3戦で先発し、同大会日本代表の1年生投手として初の勝利投手となった。しかし、リリーフで登板した第5戦では一転して制球を乱し、敗戦投手となった。米メディアの取材に対し「日本のプロ野球を経験してから、メジャーに行きたい気持ちはある」と、将来的なメジャーリーグ行きの希望を示した。

同年9月に始まった東京六大学秋季リーグ戦では、開幕戦となる対東大戦で先発を務め、勝利投手となる。1年生投手が春秋ともに開幕戦の先発を務めるのは1929年帝大(現東大)の古館理三以来4人目、1年生投手が春秋ともに開幕戦勝利を収めたのは宮武以来80年ぶり。法大2回戦で6回2失点ながらもリーグ戦での初黒星を喫した。この試合で法大打線はグラブに入る右手の動きで球種を読んでいた。斎藤も降板直後は「頭がパニック状態」だったというが、控え部員らの分析をもとに矯正に成功し、2日後の4回戦ではリーグ戦初完投勝利(チームにとっても2季ぶり)を収めた。早大の3季連続優勝がかかった慶大との3回戦ではリーグ戦初完封に加え自己最多の15奪三振を記録、春に続き優勝決定試合での勝利投手となった。2007年秋期リーグでの成績のうち、防御率0.78は最優秀防御率賞で、2季連続のベストナインにも選ばれた。1年生選手の春秋連続ベストナイン受賞は2005年の上本博紀(早大)以来2人目、投手では初。また、4勝はリーグ最多勝、与四死球率1.55(投球回数57と2/3で四死球10)はリーグ最少だった。ファン投票によるMVPにも春秋連続で選ばれた。

第38回明治神宮野球大会大学の部では3試合全てに先発、東洋大大場翔太と投げ合った決勝戦では6回無失点ながらも、交代直後に味方投手が打たれて準優勝に終わった。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki