斎明天皇
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白雉2年(651年

3月15日 - 十師たちを呼んで設斎。


白雉4年(653年) - 中大兄皇子とともに、孝徳天皇を捨てて倭飛鳥河辺行宮に移る。

白雉5年(654年

10月1日 - 中大兄皇子とともに、病に罹った孝徳天皇を見舞うべく難波長柄豊碕宮に赴く。

10月10日 - 孝徳天皇が死去。


斉明天皇元年(655年

1月3日 - 飛鳥板蓋宮で再び即位。

7月11日 - 北の蝦夷99人、東の蝦夷95人、百済の調使150人に饗応する。

8月1日 - 河辺麻呂が大唐から帰国。

10月13日 - 小墾田に宮を造ろうとしたが、中止。

冬 - 飛鳥板蓋宮が火災にあったため、飛鳥川原宮に遷る。

この年高句麗、百済、新羅が使を遣わして調を進める。百済の大使は余宜受、副使は調信仁で、総員は100余人であった。蝦夷と隼人が衆を率いて内属し、朝献する。新羅は弥武を人質にし、別に12人を才伎人にしたが、弥武は病死。


斉明天皇2年(656年

8月8日 - 高句麗が大使に達沙、副使に伊利之、総計81人を遣わし、調を進める。

9月 - 高句麗に、大使に膳葉積、副使に坂合部磐鍬以下の使を遣わす。

この年飛鳥の岡本に宮を造り始める。途中、高句麗、百済、新羅が使を遣わして調を進めたため、紺の幕を張って饗応する。やがて宮室が建ったので、そこに遷って後飛鳥岡本宮と名付ける。岡本宮が火災に遭う。香山の西から石上山まで溝を掘り、舟で石を運んで垣を造る。吉野宮を作る。西海使の佐伯栲縄と吉士国勝らが百済より還って、鸚鵡を献上する。


斉明天皇3年(657年

7月3日 - 覩貨邏国(とからのくに)の男2人、女4人が筑紫に漂着したので、召す。

7月15日 - 須弥山の像を飛鳥寺の西に造り、盂蘭盆会を行った。暮に覩貨邏人を饗応する。

9月 - 有間皇子が狂を装い、牟婁温湯に行き、帰って景勝を賞賛した。天皇はこれを聞いて悦び、行って観たいと思う。

この年 - 使を新羅に遣って、僧の智達、間人御厩、依網稚子らを新羅の使に付けて大唐に送ってほしいと告げる。新羅が受け入れなかったので、智達らは帰国。


斉明天皇4年(658年

1月13日 - 左大臣巨勢徳太が死去。

4月 - 阿倍比羅夫が蝦夷に遠征する。降伏した蝦夷の恩荷を渟代、津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応する。

5月 - 皇孫の建王が8歳で亡くなる。天皇は甚だ哀しんだ。

7月4日 - 蝦夷二百余が朝献する。常よりも厚く饗応し、位階を授け、物を与える。

7月 - 僧の智通と智達が勅をうけて新羅の船に乗って大唐国に行き、玄奘法師から無性衆生義(法相宗)を受ける。

10月15日 - 紀温湯に行く。

11月5日 - 蘇我赤兄が有間皇子の謀反を通報。

11月11日 - 有間皇子を絞首刑に、塩屋・魚と新田部米麻呂を斬刑にする。

この年 - 沙門の智喩が指南車を作る。


斉明天皇5年(659年

1月3日 - 紀温湯から帰る。

3月1日 - 吉野に行く。

3月3日 - 近江の平浦に行く。

3月10日 - 吐火羅人が妻の舎衛婦人とともに来る。

3月17日 - 甘檮丘の東の川辺に須弥山を造って陸奥の蝦夷に饗応する。

3月 - 阿倍比羅夫に蝦夷国を討たせる。阿倍は一つの場所に飽田・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振[金且]の蝦夷20人を集めて饗応し禄を与える。後方羊蹄に郡領を置く。粛慎と戦って帰り、虜49人を献じる。

7月3日 - 坂合部石布と津守吉祥を唐国に遣わす。

7月15日 - 群臣に詔して、京の内の寺に盂蘭盆経を説かせ、七世の父母に報いさせる。


斉明天皇6年(660年

1月1日 - 高句麗の使者、賀取文ら百人余が筑紫に着く。

3月 - 阿倍比羅夫に粛慎を討たせる。比羅夫は、大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められる。比羅夫は粛慎を幣賄弁島まで追って彼らと戦い、これを破る。

5月8日 - 賀取文らが難波館に到着。

5月

勅して百の高座と百の納袈裟を作り、仁王般若会を行う。

皇太子(中大兄皇子)がはじめて漏刻を作る。

阿倍比羅夫が夷50人余りを献じる。

石上池のほとりに須弥山を作り、粛慎47人を饗応する。

国中の百姓が、訳もなく武器を持って道を往来する。


7月16日 - 賀取文らが帰る。覩貨邏人の乾豆波斯達阿が帰国のための送使を求め、妻を留めて数十人と西海の路に入る。

7月 - 百済が唐と新羅に攻められて滅亡。

9月5日 - 百済の建率の某と沙弥の覚従らが来て、鬼室福信が百済復興のために戦っていることを伝える。

10月 - 鬼室福信が貴智らを遣わして唐の俘百余人を献上し、援兵を求め、皇子の扶余豊璋の帰国を願う。天皇は百済を助けるための出兵を命じ、また、礼を尽くして豊璋を帰国させるよう命じる。

12月24日 - 軍器の準備のため、難波宮に行く。


斉明天皇7年(661年

1月6日 - 西に向かって出航。

1月8日 - 大伯海に至る。大田皇女が女を産み、大伯皇女と名づける。

1月14日 - 伊予の熟田津の石湯行宮に泊まる。

3月25日 - 娜大津に付き、磐瀬行宮に居す。

4月 - 百済の福信が、使を遣わして王子の糺解の帰国を求める。

5月9日 - 朝倉橘広庭宮に遷る。

5月23日 - 耽羅がはじめて王子の阿波伎らを遣わして貢献する。

7月24日 - 朝倉宮で死去。

8月1日 - 皇太子が天皇の喪に付き添い、磐瀬宮に着く。

10月7日 - 天皇の喪が帰りの海路に出航。

10月23日 - 天皇の喪が難波津に着く。

11月7日 - 飛鳥の川原でした。9日まで発哀。


飛鳥時代(27代から37代)

 (27)安閑天皇
  
  (28)宣化天皇 上殖栗皇子  十市王 (多治比)麻呂 島(丹党祖?)
      
  (29)欽明天皇 (30)敏達天皇  押坂彦人
大兄皇子
 (34)舒明天皇            
                    


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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