敦煌文献
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敦煌文献の価値

敦煌文献の価値の前に、どうしてこの文献が壁の中に封じ込まれることになったのかを解説する。

封じ込まれたのは11世紀前半と推定されており、経緯については2つの説がある。一つ目は敦煌が西夏により占領された際に経典を焚書されることを恐れて隠したという説。二つ目は不必要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという説。一つ目の説は井上靖の小説『敦煌』が採用しているのでかなり有名ではあるが、1.西夏朝は仏教を信仰しており、経典を破壊すること自体が有り得ない、2.この敦煌文献には到底価値の無さそうなものが多数含まれており、中には習字の書き損ないと思われるものまである、という疑問が指摘される。現在では、不必要なもの・価値のないものをとりあえず置いておいたという二つ目の説がほぼ定説となっている。

では当時価値がないと考えられたものが何故現代では大騒ぎされているのだろうか?

まず一つ目がその量である。総数で3万とも4万とも言われるその数は各分野にわたって資料を提供している。二つ目がその年代である。中国に於ける印刷術五代十国時代から北宋代に飛躍的に進歩した。また、印刷時代に入った後も、正倉院の写経に代表されるような古い時代の文物を保存する意識を持ち続ける日本とは異なり、中国では刊本が普及すると、旧来の写本を保存しようという意識は生まれず、やがて忘れられてしまった。それ故に代以前の写本版本に取って代わられ、代になるとほとんど存在しなくなっていた。敦煌文献の中にはこうやって遺失した書物・文書が大量に存在しており、敦煌の中から復活した書物は少なくない。三つ目がそのバラエティである。文献の大半は漢語で書かれており、内容は仏典である。しかし他にチベット語サンスクリット語・コータン語・クチャ語・ソグド語・西夏語・ウイグル語・モンゴル語などがあり、内容もゾロアスター教マニ教・景教(ネストリウス派)などの経典、唐代の講唱の実態を示す変文、あるいは売買契約書や寺子屋の教科書などの日常的な文書も残っており、失われた言語・宗教をこの文献より一部復活させたり、当時の民俗・政治の実態を知る上で非常に貴重である。四つ目にその無価値さゆえである。無価値と判断したものを苦労して保存しようとする者はまずいない。であるからそのような物が現存する可能性はそれこそ奇跡に近い。その奇跡の成果である唐代の土地台帳などから均田制など唐代に行われていたとされる諸制度が実際にどのように運営されていたかの研究が進められている。


研究の推移

各国の人々がそれぞれの国へ持ち帰ったために敦煌文献は各国に散らばっている。スタインが持ち帰った文献は大英図書館に、ペリオのものはフランス国立図書館に、清政府のものは北京図書館に収蔵された。大谷探検隊のものは大谷光瑞の失脚の影響で龍谷大学東京国立博物館・中国の旅順博物館に分蔵されている(日本には、大谷探検隊の大谷コレクションとして頻繁に混同される大谷大学などの大学所蔵や個人所蔵のものもかなりあるが、全て各国のコレクションが流出したものを、後になって購入したものである)。ロシアではサンクトペテルブルク科学アカデミー東洋学研究所、他にはフランスのギメ美術館、ロシアのエルミタージュ美術館、アメリカのハーヴァード大学付属フォッグ美術館などにも存在している。

このような状態であるが当初は各研究機関がバラバラに研究を進める外なかったが、マイクロフィルムにより貸し出しが可能となり、国際的な研究が進むようになった。各国の代表たちが集まって行われる国際シンポジウムも多数開かれており、その学問としての多彩さは敦煌学と言う言葉すら生み出した。敦煌学の第一人者は、藤枝晃である。

更に西のトルファンにてこれも多量の文書が発掘されるようになり、立体的な研究が進められるようになった。現在では敦煌・吐魯番(トルファンのこと)と併称されることも多い。



外部リンク

国際敦煌プロジェクト(英語及び中国語)

敦煌石窟
カテゴリ: 中国の史学史 | 中国の宗教 | 東洋学 | 日本の東洋学 | シルクロード | 古文書

更新日時:2008年9月5日(金)01:13
取得日時:2008/10/03 16:27


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki