形式的故意概念からは事実的故意という概念が認められる。事実的故意とは犯罪事実についての認識(・認容)である。具体的には、通説・判例からは、(客観的)構成要件該当事実を認識・予見しつつ違法性阻却事由該当事実の認識・予見がないことが必要である。厳格責任説からは、(客観的)構成要件該当事実の認識・予見があればよく、違法性阻却事由該当事実の認識・予見は無関係である。
事実的故意につき、意思説は犯罪事実の表象(認識・予見)、つまり認識的要素に加えて意思的態度(意志的要素)を要求するものであり、表象説は意思的要素を要求せず、認識的要素で足りるとする。
いかなる場合に故意が認められ、また、過失が認められるかの限界の問題として、「未必の故意」と「認識ある過失」の問題がある。故意犯は原則的に処罰されるのに対して、過失犯は特に過失犯の規定がないかぎり処罰されないことから、故意と過失の区別は刑法上の重要な問題のひとつである。
この問題については、故意概念についての意思説と表象説の対立を反映して、認容説と認識説の対立が存在する。
認容説によると、未必の故意とは、犯罪結果の実現は不確実だが、それが実現されるかもしれないことを表象し、かつ、実現されることを認容した場合をいう。この説では、結果の実現を表象していたにとどまり、その結果を認容していない場合が、認識ある過失となる。つまり、故意と過失は認容の有無によって区別されるとするのである。
認識説は、認容という意思的態度は要求しない。認識説の中の蓋然性説によると、結果発生の蓋然性が高いと認識した場合が未必の故意となり、単に結果発生の可能性を認識した場合は認識ある過失となる。
動機説と呼ばれる見解もあるが、その内容は認識説に近いものや認容説に近いものなどさまざまである。この中のある見解は、犯罪事実を認識しつつこれを犯罪の実行を思いとどまる反対動機としなかった場合に故意があるとする立場をとる。また、ある見解は、犯罪事実の認識から行為意思(行為動機)を形成し現実の実行行為に出た場合に故意があるものとする。
さらにある見解では、高い蓋然性を認識していた場合には認容は不要であり、低い蓋然性を認識していた場合には積極的認容を要するとして二元的な立場を採る。
⇒b:民法第709条は、不法行為の要件として、故意または過失の存在を定めている。
関連項目ウィクショナリーに ⇒故意の項目があります。
責任主義
危険運転致死傷罪
などして下さる協力者を求めています(P:法学/PJ法学)。
カテゴリ: 法関連のスタブ項目 | 刑法 | 民法
更新日時:2008年8月31日(日)06:54
取得日時:2008/09/27 14:09