さまざまな面でアメリカ大統領専用機・エアフォースワンに倣った日本の政府専用機だが、両者の大きな違いはその用途にある。エアフォースワンは「政府」専用機ではなく「大統領」専用機で、大統領個人が良識の範囲内で公私にわたって自由に使用することが認められており、国内遊説や選挙戦はもとより、休暇時の保養地への移動にも使われている。一方、日本の政府専用機はあくまでも公用車や御料車と同様に政府所有機であり、その用途は公用に限られる。しかも通常は外遊時にのみ使用され、国内での移動に利用されることはほとんどない[14]。したがって年間の飛行回数や飛行時間はエアフォースワンにくらべると格段と少なく、導入当初は「虎の子」「宝の持ち腐れ」などといった批判を浴びることも少なくなかった。
第二次世界大戦終結後、皇族や首相、閣僚の海外公式訪問や国内移動の際に、半官半民の経営体制で、日本のフラッグキャリアである日本航空の特別機が頻繁に使用されることになり、1954年8月には、北海道で開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇と香淳皇后のために、初の皇族向け特別機が新千歳空港-羽田空港間で運航された。1989年の竹下登首相の訪米時に政府特別機として使用された日本航空のマクドネル・ダグラスDC-10
その後も特に海外公式訪問の際の特別機として、国際線を唯一運航していた日本航空機が利用されるケースが多かったものの、1970年代に入りアメリカ政府から対日貿易赤字の縮小を求められ、その過程で、アメリカ製の航空機を政府専用機として購入することで、アメリカ政府の態度を和らげる一助にすることなどを背景に、アメリカ製のボーイング747やボーイング707、マクドネル・ダグラスDC-10などを中心に導入が検討されはじめた。
また、ベトナム戦争やイラン・イラク戦争など、海外の有事の際の邦人救援特別機として同社の機材を使用することを打診した際に、乗務員の安全面などから同社の労働組合が運航に反対するなどの問題があった。さらに自衛隊員の海外派遣に際して、同社の左翼的な一部の労働組合から様々な感情的な反対があるなど、有事の際の海外移動を同社に任せることへの問題が噴出し、この様な問題がない政府専用機の導入への検討が進められた。その上、1951年の設立から長らく半官半民という経営体系であった同社が、1985年9月に、当時の中曽根康弘首相が進める国営企業や特殊法人の民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出したことなど様々な理由から、1980年代半ばになり急速に政府専用機の導入が推し進められることとなった。
最終的に、日本から無給油でヨーロッパや北アメリカの主要都市に飛ぶことができる当時唯一の機材であることなどから、アメリカのボーイング社が製造するボーイング747-400の導入が1987年に閣議決定され、予備機を含め2機が導入されることとなった。
2002年(平成14年)6月28日、カナダのカルガリー郊外の保養地・カナナスキスで行われたG8サミットの帰途、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相と秘書官・警護員ら5人が小泉総理搭乗の日本国政府専用機に同乗して来日した。翌々30日に横浜国際総合競技場で行われる2002 FIFAワールドカップの決勝・ブラジル対ドイツ戦を控え、この観戦に間に合うようぜひ相乗りで行かせて欲しいというドイツ側からの異例の要請を日本側が快諾したもの。約10時間の飛行中、機内ではくつろいだ雰囲気のなかで日独首脳会談(「ヒッチハイク外交」、外務省)が行われたほか、両首脳は食事を共にしながら四方山話に花が咲いたという。小泉総理は総理執務室をシュレーダーに譲って、自らは官房副長官用の個室で休息した。ドイツ政府要人専用機 “A310-304 VIP”
一国の首脳が他国の政府専用機に同乗して長時間に及ぶ海外フライトを行うというのは、外交プロトコル上の変則であることは言うに及ばず、危機管理の面から見ても極めて異例なこと[15]であり、日本政府専用機ではこのシュレーダーの便乗が唯一の例、しかも例外中の例外となっている[16]。ドイツ政府もエアバスA310-300を政府要人専用機として保有しており、シュレーダーは同機でカルガリー入りしている。A310-300にはカナダ太平洋岸で一回の給油を行えば羽田まで難なく飛ぶだけの航続距離があるはずだが、年代物の双発機で洋上を長距離飛行することに不安があったのか、次大会のホスト国でもあるドイツが決勝進出したことでよほど気が急いたのか、残念ながらこの相乗りの背景にあるその辺りの詳細な事情が説明されることは一切なかった。