中華人民共和国では戸籍を「戸口」といい、全ての人民は機関・団体・学校・企業など、「単位」と呼ばれる組織のいずれかに属するようになっている。「単位」の所在地により、俗に城市戸口(都市戸籍)と農村戸口(農村戸籍)とに表現が区分される。
改革開放以前、住居分配・初等中等教育・医療・食料配給などは基本的に単位ごとになされ、これらを享受できない本籍地以外の場所での生活は、事実上、不可能であった。改革開放以降、食料配給の廃止や外資企業の出現による単位への所属が流動化、インフラ設備の向上による流通の発展と第3次産業の発展、農村部経済の破綻と沿岸都市部での労働者需要の増大による「民工潮」(盲流現象)などから、本籍地以外でも社会的サービスを受けられるようになったが、依然として初等中等教育は基本的に不可能で、医療では医療費面で差別があり、信用度の問題で銀行からの融資を受けられないことや、福利厚生費を企業が負担しなければならないので就職が難しいなどの問題がある。
戸口の移動は、他省への大学進学、大学卒業で国家機関や団体、大企業などへの就職による移動が基本で、最近では多額納税者や、小都市では住宅購入で戸籍の移動を認める地方政府もある。以前でも銭を払うことで、農村から城市への戸口の移動が可能であった。 戸口を記した「戸口簿」は中華人民共和国公安部(中国の警察)が管理している。
中国では戸口簿のほかに、全人民ひとりひとりに「人事档案」がある。これは、人事档案には先祖の階級をもとにした「本人成分」から始まり、家族構成・学校成績・党歴・就職・結婚・言動・旅行歴・交友関係・犯罪歴など、生まれた時から現在までの個人情報の全てが書き込まれている。人事档案は単位の共産党人事部、もしくは地方共産党支部の人事局や労働局が厳重に管理しており、もちろん非公開で、本人はその内容を生涯知ることはできない。ただし、現在、移動と不届けから、全てを把握しきれていない状態が増加していることも確かである。
朝鮮半島国家は古代の律令制導入以来戸籍制度を維持してきた。朝鮮時代は良民と賤民とに身分が分かれており、良民には士大夫(両班)の特権階級と郷吏(中人)・常漢・庶人・良人(常民)の平民階級があり、賤民には奴婢と白丁があった。
戸籍にその戸の身分が記載され、平民階級には役などが課された。日本統治時代に身分の記載は削除された。
現在の大韓民国においても戸籍は継承されており、徴兵制の運用もあって管理が厳しい。2008年に戸籍が廃止され個人単位の登録となることが決まった。
朝鮮民主主義人民共和国には戸籍に相当するものはなく、居住地の党組織にて日本でいう住民登録が行われ管理されている。また、「公民登録法」により17歳以上の朝鮮公民(朝鮮民主主義人民共和国籍を持ち北朝鮮に居住する者)には公民証(平壌市民にあっては1997年以後「平壌市民証」に切替)が発給され、本人確認が行われる。
台湾では日本統治時代に日本の戸籍制度に改変された。現在の中華民国支配下でもID制度と平行して存在しているが、一般的にはIDの方が多用される。中国国民党が独裁していた時代には、軍政時代の韓国同様、戸籍は警察が管理していた。
明治以前
古代の戸籍制度
670年大化の改新(645年)によって朝廷の支配体制が強化され、各地の豪族が作った戸籍に代わって全国的な「庚午年籍(こうごねんじゃく)」という戸籍が作られ、6年ごとに更新された。
安土桃山時代豊臣秀吉による太閤検地が行なわれた。
江戸時代幕府や寺社の作成した人別帳や宗門帳や過去帳が人民の登録簿であった。これらは現代でも家系図作成などの際に参考にされることが多い。文政8年(1825年)に長州藩で戸籍法施行。近代戸籍法の原点とも言われている。
明治・大正期
1868年(慶応4年)長州藩のものを参考に京都府において戸籍仕法が行われる。
1869年:明治2年民部官に庶務司戸籍地図掛(国土地理院の前身の一つ)を創設。
1870年戸籍地図掛が民部省地理司へと拡充
1871年民部省が廃止され、大蔵省租税寮へ管轄が移る
1872年(明治5年式戸籍)「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行前年制定の戸籍法に基づいて、日本で初めての本格的な戸籍制度が開始された。この年の干支が壬申(みずのえさる)であることから、この制度によってできた戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼ぶ。戸籍の編成単位は「戸」、本籍は住所地であり、身分とともに住所の登録を行ったことから、現在の住民票の役割も担っていた。この戸籍は「新平民」や「元えた」などの同和関係の旧身分(エタ、非人)や、病歴、犯罪歴などの記載があることから、現在は各地方法務局の倉庫で一般の目に触れないように厳重に保管されている。ただし、法務省の公式発表では壬申戸籍は廃棄したことになっている(しかしこれらの情報が何らかのルートで流出しているという情報もある[要出典])。
1874年太政官達「大蔵省中戸籍、土木、駅逓ノ三寮及租税寮中地理、勧農ノ事務ヲ内務省ニ交割セシム」 ⇒[1]により、前年に発足した内務省に管轄が移動する
1886年(明治19年式戸籍)「戸籍取扱手続」明治19年10月16日内務省令第22号・「戸籍登記書式等」同日内務省訓令第20号本籍地は住所のままだが、住所が屋敷番から地番に変更となった。除籍制度が設けられた。
1898年(明治31年式戸籍)「戸籍法」明治31年6月15日法律第12号同年7月16日施行・「戸籍法取扱手続」明治31年7月13日司法省訓令第5号家を基本単位とする戸籍制度が開始された。