臨戦地境戒厳は、日清戦争中の広島市、宇品、日露戦争中の長崎市、佐世保市、対馬、函館市、台湾全域、澎湖島、馬公要港に布かれた。
一方合囲地境戒厳の実例は存在しない。1945年の日本列島全域、あるいは少なくとも同時期の沖縄本島、またソ連参戦後の樺太や千島列島は外形的には敵国に包囲され攻撃されているという合囲地の条件を満たしており、陸軍参謀本部では宣告を検討したともいわれるが、一説には「戒厳の宣告は敵に弱みをみせる」として取止めになったともいう。
以上、「戒厳令」で規定された戒厳の他に、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある(日付は勅令の公布日)。
1905年9月6日〜11月29日 - 日比谷焼打事件(ポーツマス条約反対暴動)
1923年9月2日 - 関東大震災
1936年2月27日〜7月16日 - 二・二六事件
いずれの場合も、戒厳令で想定する臨戦・合囲の地域には該当しない。そこで緊急勅令では「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スル」として戒厳令の規定を準用したのである(「必要ノ規定」に該当する条文はあらためて後続する緊急勅令で限定的に列挙されている)。つまり、これらの戒厳措置は戒厳令に根拠を有するのでなく、あくまで緊急勅令による騒乱鎮圧を目的とした行政措置だったと考えられる。
日本国憲法下の現行の法体系には「戒厳」に関する規定はないが、武力攻撃事態対処関連三法(いわゆる有事法制)中の武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(以下有事関連法)がこれに近似した効力を持つとされる。但し、同法に見られる「戒厳」類似の規定はあくまで国会の事前承認に基づく「非常事態権」に類するものであると考えられ、現行の法制下においては日本国憲法との整合性等の問題もあり、本格的な国家緊急権は認められていない。
また大規模地震対策特別措置法を根拠とする「地震災害に関する警戒宣言」が発されると、強化地域内で鉄道や高速道路が不通となり、多くの官庁・企業・教育施設等も日常の業務を停止するため、一部マスコミ等において同法および同宣言を比喩的に「戒厳令」と称することがある。
台湾では1947年2月28日に勃発した二・二八事件以降、蒋介石率いる台湾国民政府によって言論弾圧が強化され、1949年から蒋経国が五一九緑色運動の高まりを受けて1987年に解除するまで38年間もの長期に亘り戒厳令が施行され続けた。
外部リンク
⇒太政官布告「戒厳令」全文 - 松山大学法文学部田村譲教授研究室
カテゴリ: 政治史 | 戦時体制
更新日時:2008年6月21日(土)18:48
取得日時:2008/08/16 01:51