慶應義塾の塾訓は「独立自尊」となっており、大学もそのままこれを使用している。
慶應義塾には「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは1896年(明治29年)11月1日に、芝・紅葉館で開催された懐旧会(慶應義塾出身者との懇親会)で行われた福澤諭吉の演説を元に、福澤自身が書き直したものである。内容は以下の通り。
慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず其目的は我日本国中に於ける気品の泉源智徳の模範たらんことを期し之を実際にしては居家処世立国の本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり 以上は曾て人に語りし所の一節なり 福澤諭吉書
かつては体育大学ではないのにもかかわらず全学部学科において体育が必修科目であり、「塾生皆泳」なるスローガンのもと、水泳で50メートル泳法ができないと単位を取得できなかった。複数の卒業生が、自著や対談の中で単位を取るのに水泳の特訓をしたと回想している。
年表
1858年 福澤諭吉が江戸築地鉄砲洲に蘭学塾を開く。
1863年 英学塾へ改組。
1868年 芝新銭座に移転、慶應義塾と改称。
1871年 芝新銭座の校地を近藤真琴の攻玉塾へ譲り、三田の島原藩中屋敷跡地へ移転。
1889年 慶應義塾規約制定。
1890年 大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。また大学部と区別するために従来の課程を普通部と称した。
1920年 大学令による大学となり、文学部・経済学部・法学部・医学部を設置。
1934年 日吉キャンパスを開設。
1944年 藤原工業大学(1939年設立)が慶應義塾に寄付され、工学部を設置。
1948年 通信教育部を設置。
1949年 学制改革により新制大学となり、海外大学(アメリカ合衆国、ロードアイランド州のブラウン大学)と提携を結ぶ。
1957年 塾創立100周年にあたり商学部を開設。
1981年 工学部を理工学部に改組。
1988年 女子厚生学院を改組して慶應義塾看護短期大学看護学科が開学(募集は平成12年度まで)。
1990年 湘南藤沢キャンパスに総合政策学部と環境情報学部を新設。
1991年 総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所開設。
1992年 慶應義塾湘南藤沢中・高等部 開校。
1994年 大学院政策・メディア研究科修士課程開設。
1996年 大学院政策・メディア研究科後期博士課程開設、総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所をSFC研究所に改組。
2001年 看護短期大学を看護医療学部に改組。看護短期大学の募集を停止。
2002年 湘南藤沢キャンパスに教職課程設置。
2005年 大学院健康マネジメント研究科修士課程開設。
2007年 大学院健康マネジメント研究科後期博士課程開設。
2008年 学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学が合併、薬学部と大学院薬学研究科を設置。同年大学院システムデザイン・マネジメント研究科と大学院メディアデザイン研究科を開設。
所在地
三田キャンパス(東京都港区)
日吉キャンパス(神奈川県横浜市港北区)
信濃町キャンパス(東京都新宿区)
矢上キャンパス(横浜市港北区)
湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)
芝共立キャンパス (東京都港区)
校歌は慶應義塾塾歌。作詞:富田正文、作曲:信時潔。1940年に完成、翌年発表。慶應義塾関係者は「塾歌」と呼び、親しんでいる。大学本体のみならず、一貫教育校(高等学校、普通部、幼稚舎など)を含め、慶應義塾社中で広く歌われている。 塾内進学により大学に入学した塾生(慶應用語で言うところのいわゆる内部生)は殆ど全員が歌えるが、現在の慶應義塾大学では歌う機会が少ないため、入学試験によって慶應義塾大学へ入学した塾生(いわゆる外部生)は歌えないことも多い。
若き血(わかきち)は応援歌。作詞・作曲とも堀内敬三。1927年に発表。
東京六大学野球連盟の応援では1得点挙げるごとに観客が肩を組み若き血を合唱するなど、スポーツの応援では定番の曲となっている。「慶應義塾塾歌は歌えないが若き血は歌える」という学生も少なくない。
歌詞の最後にある「陸の王者」は藤山一郎が「りくのおうしゃ(清音)」と歌っていたことから濁らないのが正式であると慶應義塾大学の関係者の一部ではいわれている。しかし、ほとんどの学生・教職員は「おうじゃ」と濁音で歌っている。携帯電話の着信メロディーとしてダウンロードできる。