シンボルマークは、「ペンマーク」と呼ばれ、二つのペンを右を上にして交差させた「CALAMVS GLADIO FORTIOR (ペンは剣よりも強し)」をモチーフとしたマークである。
マスコットはユニコーン。三色旗の上に描かれたものが応援の際などに使われる。慶應義塾のアメリカンフットボールチームの名称はユニコーンズである。
学部
文学部人文社会学科の下に17の専攻があり、学生は二年次から各専攻に分かれることになる。反自然主義の牙城となった三田文学という雑誌を発行している。廃刊・復刊を繰り返し、現在も刊行されている。
人文社会学科
哲学系
哲学専攻
倫理学専攻
美学美術史学専攻
史学系
日本史学専攻
東洋史学専攻
西洋史学専攻
民族学考古学専攻
文学系
国文学専攻
中国文学専攻
英米文学専攻
独文学専攻
仏文学専攻
図書館・情報学系
図書館・情報学専攻
人間関係学系
社会学専攻
心理学専攻
教育学専攻
人間科学専攻
経済学部旧制大学時代に設置されていた理財科を新制大学時に改組して設置した学部。環境経済学などの他の大学では余り開講されていない学問分野もそろえている。PCP(Professional Career Program)という、全て英語で経済学を学ぶ少人数形式の講義が2005年から導入された。
経済学科
法学部
法律学科
政治学科
商学部
商学科
医学部
医学科
慶應義塾大学では看護学系が看護医療学部として分かれているため、医学科のみが置かれている。6年教育であり、日吉キャンパスで主に一般教養を、信濃町キャンパスで医学を学ぶ。以前は信濃町キャンパスが2年の秋学期からだったため、旧制大学時代に倣って1,2年を予科1,2と呼び、3,4,5,6年を学1,2,3,4と呼ぶ。
理工学部慶應義塾大学理工学部では、学科ではなくまず学門別に入学する。学門は5つあり、それぞれの特色により進学できる学科が異なる。もちろん講義の必修科目にも多少違いがある。一年次に進路を考え、二年次にそれぞれの特色に沿った学科に進学することで、進路の幅にやや余裕が持てるメリットがある。
学門1,2,3,4,5(一年次)
機械工学科
電子工学科
応用化学科
物理情報工学科
管理工学科
数理科学科
物理学科
化学科
システムデザイン工学科
情報工学科
生命情報学科
総合政策学部
総合政策学科
環境情報学部
環境情報学科
看護医療学部
看護学科
薬学部
薬学科
薬科学科
通信教育部
医学部は、1917年、福澤諭吉の遺志をくみ、北里柴三郎を初代学部長として設立された。慶應義塾大学医学部は基礎医学と臨床医学の連携のもと、患者側の視点に立った臨床のための医学の発展を目的として設立されている。医学部六年生の夏休みに、ハーバード大学など、アメリカのメディカルスクールに短期留学できる。また、低学年の間には、韓国の延世大学校やラテンアメリカなどの医学部での交流プログラムなどが用意されている。
沿革
1870年(明治3年) - 慶應義塾の塾生前田政四郎の希望により、福澤諭吉が英国式の医学所の開設を決定する。
1873年(明治6年) - 慶應義塾内に医学所を開設する。所長は慶應義塾出身の医師松山棟庵。また、杉田玄端を呼んで尊王舎を訓練の場所とした。
1880年(明治13年)6月 - 医学所が閉鎖される。
1916年(大正5年)12月27日 - 慶應義塾に医学部の創設が許可される。
1917年(大正6年)3月 - 医学部予科1年生の募集開始。初代の医学部長として北里柴三郎が就任する。
1920年(大正9年) - 医学部が大学医学部に昇格。医学部校舎と附属病院が信濃町に新築される。
1937年(昭和12年) - 北里記念医学図書館が創立される。
医学部一年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受講。
信濃町キャンパス:東京都新宿区信濃町
二年生より六年生までは、ここで臨床医学を身につける。
総合政策学部と環境情報学部は湘南藤沢キャンパスにおいて他の学部とは大きく違った独自の教育が実施されている。この節では両者に共通する特徴などをまとめた。