惣村が支配者や近隣の対立する惣村へ要求活動を行うときは、強い連帯、すなわち一揆を結成した。一揆(連合、同盟)は元々、心を一つにするという意味を持っており、参加者が同一の目的のもとで、相互に対等の立場に立って、強く連帯することが一揆であった。
惣村による一揆を土一揆(つちいっき)というが、土一揆は15世紀前期に始まり15世紀中期?後期に多発した。土一揆は、惣村の生活が困窮したために発生したというよりも、自治意識の高まった惣村が、主張すべき権利を要求したために発生したと考えた方がよい。ほとんどの土一揆は、徳政令の発布を要求する徳政一揆の性格を帯びていた。当時の社会通念からして、天皇や将軍の代替わりには土地・物品が元の所有者へ返るべきとする思想が広く浸透しており、これを徳政と呼んでいた。そのため、天皇や将軍の代替わり時には徳政を要求した土一揆が頻繁に発生した(正長の土一揆、嘉吉の徳政一揆など)。また、支配者である守護の家臣の国外退去を要求した土一揆も見られた(播磨の国一揆)。その他、不作により年貢の減免を荘園領主へ要求する一揆もあった。これらは、惣村から見れば、自らの正当な権利を要求する行為であった。
戦国時代に入り、戦国大名による一円支配が強化されるに従って、惣村の自治的性格が薄まっていき、土一揆の発生も次第に減少していった。
注釈^ 参考文献:『耕地と集落の歴史-香取社領村落の中世と近世』,文雅堂銀行研究社,昭和44年3月25日発行
カテゴリ: 鎌倉時代 | 室町時代 | 日本の荘園制
更新日時:2008年8月23日(土)12:26
取得日時:2008/10/09 21:34